昔ある清純派アイドルが、テレビのインタビューを受けていた。初主演が決まった映画について、定番の質問がなされた。
――もしキスシーンがあったとしたら、どうなさいますか。
アイドルが答えた。
――フレンチ(キス)なら、かまいませんよ。
テレビで見ていた英語の教師が、ぶったまげた。
何しろ英語で French kiss と言えば、あれのことだ。おおむね交合の場面で行われるような、濃厚な、舌と舌をからめて唾液を流し込む――卑近な言葉でぶっちゃければ、「ベロチュー」のことである。
まさかこの可愛らしい娘が――と想像をふくらませたところで、気がついた。
日本人の言う「フレンチキス」は、 French kiss とは違う。
軽く唇を合わせるような、あるいは頬っぺたにするような、ライトなものを指すのだ。いや、少なくともその当時は、そんな誤用が当たり前に行われていた。
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それにしても、軽い口づけと ベロチューでは、大違いどころではない。むしろ中身は真逆である。
一体どうして、そんな意味の反転が起きてしまったのか。不思議に思われる方もいるかもしれない。
だがしかし、種明かしは実に単純である。
純粋に語学的に言えば、 French kiss とは「フランス人のするような接吻」のことだ。それ以上でも、以下でもない。
その言葉にどんな感情を乗せ、どんな価値を付加するかは、ひとえに話者の主観だけにかかっているのだ。
英語の話者たるイギリス人にとって、フランスが友好国と認識されたのは、つい19世紀のことである。
それ以前には、「英仏百年戦争」というように、延々といがみ合いの歴史があった。
敵対し、侵略し、征服しあう――少なくとも、たえず張り合い続けるライバル国だったのだ。
民族レベルでも、文化レベルでもそれは同じだった。嫌悪し、罵り、揶揄しあうのが常道だった。
フランス人にとってイギリス人は、アングロサクソンの、冷淡で、堅物で、美の心を解さない、無味乾燥のいけ好かないヤツらだった。
一方イギリス人の目には、フランス人はラテン系の、粗暴で無頓着で品のない、――情熱的と言えば聞こえがいいが、要するに情欲的なゲス野郎だった。
ベロチューが French kiss と呼称されたのは、そうした流れだったのだ。
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ところがどういうわけか、日本人にとってのフランスは、そうではない。
それは芸術の都パリであり、フランス映画であり、シャネルやルイ・ヴィトンのふるさとであり。
要するに黄色人種の西洋へのあこがれを、一身に体現したような国なのだ。
だから「フレンチキス」という言葉を聞いたとたん、てっきり思い込んでしまった。そんなおしゃれな国だから、きっと軽く唇を合わせるような、おしゃれなキスをするんだろうなと。
だって、白いレースを身にまとったフランス人形が、夜はこっそりよだれタラタラのベロチューをしているなんて、誰も夢にも思わないもの。
そして誤解が誤用を生み 誤用が誤解を生んで、――そのようにして今日の有様に至ったのだ。
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これが語学屋としての、解説である。
アイドルのインタビューをテレビで見ながら、組み立てたお手軽文化論だ。
もちろんインタビューを受けている当人は、そんな蘊蓄を知るよしもない。
まさか自分の発言が、テレビの向こうの視聴者の、あらぬ想像をかき立てているなんて、思いも及ばない。
美少女の交尾の――いや失礼、まぐあいの――いや失礼、合歓の姿を思い浮かべたスケベおやじが、鼻の下を伸ばしているとは知らぬが仏である(笑)
もっともラーメン屋のテレビの前で、そんな特別な反応を示している客は、自分の他にはないようだった。
さもありなん。そんなクソの役にも立たない英語の知識なんて、普通の人種は持ち合わせているはずもないのだから。
ともあれ一種の役得で、自分だけはたとえ一瞬でも、あくまでも想像裡とはいえ、かぐわしき乙女のあられもない姿を覗き見ることができたのだ。
やはり学問というのは、修めておくものである(笑)
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