「緑のおばさん」が実は地方公務員だった件 

 子供のころ、緑のおばさんが大好きだった。
 交通量の多い通学路に立って、子供たちの安全な登校を助けるのが、その仕事である。
 しばしば緑の服を着て、たいていは黄色い旗を持つ。――正式には学童擁護員と呼ぶのだそうだが、子供たちが親しめるように、そんなあだ名で呼ぶ地域が多いと思う。

 子供のころ、おばさんが大好きだった。
 小学校のすぐ手前の、車の行きかう交差点で、黄色い旗を操って横断を指導する。
 だかそれはただ、見守っているばかりではないのだ。
 一人一人に必ず、やさしい笑顔で声を掛ける。子供たちの方もまた、そうしておばさんに毎日あいさつをするのが、楽しみなようだった。
 もちろん自分の母親だって、十分にやさしかったが、そうしてすべての子供たちに、あまねく愛情を降り注ぐ姿は、格別に思えたのだ。  

 小学校は最寄り駅の途中にあったから、卒業してからも、おばさんを見かける時間帯があった。
 大人の自分はさすがに、もうあいさつは交わすことはなかった。それでも、なつかしくも微笑ましい朝の風景に、きまってなごやかな気持ちになったものだった。

     * 

 30代を目の前にしたある日、突然緑のおばさんが嫌いになった。
 それはある、黒い噂を耳にしたからである。
 思えばそれまで、自分はずっと、おばさんの正体を知らずにきた。考えてみたこともなかった。
 ただ漠然と、地域の住民が子供たちのために、ボランティアでもしているんだろう、と思い込んでいた。それだからこそ、かえって敬愛の気持ちも増していたのだ。

 だが噂は教えていた。
 おばさんたちは実は、地方公務員なのだ。東京都の職員なのだという。
 もちろんそう聞いたというだけで、真相を確かめたわけではない。
 その上30年も前のことだから、今ではアウトソーシングも進んでいるかもしれない。ただのパートタイムだったり、あるいは本当にボランティアに、なっているのかもわからない。
 だが少なくとも、そのときの私はそう聞いた。そして愕然としたのだ。

 何しろそこには、もう一つの、いまいましい都市伝説があったからだ。
 いわく、地方公務員というものは、9時5時でのんべんだらりと仕事をして、結構な給料をいただいている。
 推定平均年収800万だ。どっちみち税金なので、赤字の心配もしなくていいから、もらい放題なのだ。
 その上クビになる心配もないので、毎日高笑いしながら暮らしている――
 もちろんこちらもただ、そう聞き知らされたというだけで、真偽のほどは不明である。
 自らの手で、一人一人の給与明細を、あまねくチェックしたわけでもない ただ語り継がれた伝説を、安易にそう信じ込んでいたのだ。

 だがしかし、今しも頭の中で、2つの噂が結びついた。
 何とあの緑のおばさんが、年収800万だというのだ! 憎っくき上流国民だったのだ。
 それを知った瞬間、自分がどれほどの衝撃を受けたか、余人には想像もつくまい。
 何しろ恥ずかしながら、当時の自分はいわゆるワーキングプアであった。身も心もボロボロになるまで働いても、300万にも届かない収入だったと思う。
 それなのにこのおばさんたちは、にこにこと子供に笑顔を振りまいているだけで、自分の3倍近い報酬を手にしているというのだ!
 そう思えば、怒りと嫉みにわが手が震えるのを、もはやどうすることもできなかった。――

 おばさんを慕う気持ちは、たちまち消し飛んだ。その後には深い憎悪の念が、取って代わった。
 その日からも、最寄駅への道すがら、小学校のかたわらを過ぎる。交差点で、相も変わらぬおばさんの姿を見かける。
 だがもはや自分に、笑顔はなかった。考えうるかぎりの渋面を作って、心中では呪詛の言葉さえ投げかけながら、ただただ足早にその場を立ち去るしかないのだった。――

     *

 そして現在。
 かつての小学生は、今ではかろうじて杖に身をもたせて、交差点を渡る。(冗談です。まだそんなに高齢ではありません)
 相変わらずのおばさんたちの姿を前にしても、もはや何の負の感情も、こみ上げることはない。

 思えばかつての自分は、こんなふうに考えていたのだ。
 世の中の富の総量は決まっていて、誰かが豊かになれば、その分だけ自分は貧しくなる。
 それと同じように、世の中の幸福の総量も決まっていて、誰かが幸せになれば、その分自分は不幸になるしかない――少なくとも、不幸になる確率が高くなる、と。
 だからこそ公務員の緑のおばさんが、まるでかたきであるかのように感じられて、ひたすら呪わしかったのだ。

 だがこうして歳を重ねて、自分もようやく悟ったのだ。
 そんな得体の知れない法則は、もちろん全然間違っていた。
 みんなが金持ちだろうと、幸せだろうと、自分の有り様(ありよう)には一向に影響しない。何一つ変わりはしない。
 自分はどっちみち貧乏で、みじめなままなのだ(笑)

 そう思えば、もはや他人の懐具合など、少しも気にならなくなった。
 駅に向かう道すがら、公務員かもしれない緑のおばさんと、すれ違うときも。
 もはやかつてのように呪詛の言葉を吐くこともなく、 鏡のように澄み切った、平常心でいられる。

 老境というのは、すてきなものである。

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