包茎クンが、たまにはちょっと強がってみる

 昔、理科の授業で、植物の分類を習ったよね。
「裸子植物」と「被子植物」というのがあった。(注)

「裸子」は種子のもととなる胚珠が、むき出し(裸)になっている。「被子」は胚珠が、果実のもとになる子房に覆われ(被)、守られている。
 前者が種を作る植物の原始的な形態であり、前者から後者が進化したと。

 それを聞いた男子生徒が、珍しく強がって胸を張った。
「オレは被子植物なんだ。進化しているんだ」と。
 何のことはない。ふだんはみんなから「包茎クン」と呼ばれて、バカにされていたのである。

     *

 だがその主張は、必ずしも負け惜しみでも、冗談でもない。
 たとえば古代のギリシャでは、包茎こそが理想の形態とされた。
 包み隠すもののない亀頭の裸出は、どこか暴力的で、それこそ本能むき出しだ。何とも野蛮で、獣的な姿に映る。

 一方包茎の方は抑制的で、理性的で、品があるとされた。
 ついでに言うなら、「短小」もまた文明的な形質として称揚された(笑)
 むけチンの巨根などというものは、進化の洗練を経ていない。原始段階の様態とされていたのである。

 美術に造詣の深い方ならお気づきだろうが、古代のギリシャ彫刻で表された男性器の、ほとんどは包茎である。
 そしてその古典古代を範とした、ルネサンスにおいてもまた。
 ミケランジェロのダヴィデ像に、むき出しの肉茎の姿はない。それはただ、いともつつましく、奥ゆかしく、神秘のベールに包まれて控えている。 

     *

 包茎には「真性」と「仮性」がある。
「真性包茎」は勃起時にも、あるいは包皮を手でめくろうとしても、亀頭が露出しない。性交に支障があったり、炎症を起こしたりすることもあるので、成人の場合は医療的処置が望ましい。

 一方「仮性包茎」は、平時は皮をかむっていても、勃起時には亀頭が顔を覗かせる。少なくとも手を添えて、剥くことはできる。
 こちらの方は、医学的に何も問題はない。というよりも、実は男性器の8割方はこの状態だというから、ある意味ではもっとも正常な「男の姿」なのだ。

「いざというときには剥ける」わけだから、当然性交の妨げにもならない。
 私は今も昔も、掛け値なしの仮性包茎である。
 それでも若いころは、誰よりも女どもをヒーヒー言わせていたものだ(笑)
 みなさんもそんな私を見習って、自信をもって、胸を張って生きていい。
 仮性包茎は女の子に嫌われます、などという男性誌の虚偽広告にだまされて、間違っても包茎手術などをしてはならない。――

     *

 話はそれるが、世の中にはバカばかりを言っているやつがいる。
「ヨロ乳首(よろしく)」「おひさしブリーフ(お久しぶり)」
みたいな、しょうもないオヤジギャグばかり飛ばしているような。

 もちろんその多くは根っからの、くだらない人間かもしれない。そんな本物のバカならば、確かに生きている値打ちはない。
 だが中には、そうでない場合もある。
 あくまで人間関係の潤滑油として、仮面を被っている。
 バカのふりをしているだけで、実際の芯の部分は魯鈍とも、柔弱ともほど遠い。その逆にはるかに理知的な、凛々しい人物であったりする。

大石内蔵助の例もある。
内蔵助が遊郭で遊び呆けたのは、あくまで世間の目を欺くためである。
バカを演じることで、あだ討ちの意図を悟られまいとした。いわば敵を油断させるための、計略だったのである。
 そして実際、ご存じの通り、翌年末には見事本懐を遂げた。
 腑抜けどころではない。もっとも男らしく、武士らしい最期を迎えたのである。

 彼らのバカは本物の――真性のバカではない。いわば仮性のバカである。
 ふだんはどんなにアホくさく振る舞っていても、すべては世を忍ぶ仮の姿だ。
 実際の彼らは、もっとずっと剛毅だ。ただそうして、たわけたことを言いながら、じっと雄飛の機会を待っているのだ。

 ここぞというときには、豹変する。
 なすべきことはなす。やるときはやる。
 だとしたら、それで一向にかまわないのだ。

     *

 つまりは「バカ」も包茎と同じで、いざというときに剥ければいいのである(笑)――

コメント

タイトルとURLをコピーしました