(話は前回から続く)
同じ議論は、地球と太陽の関係にも、当てはめることができる。
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地球が太陽の周りを回る、と言う。「太陽の方は止まっていて、地球がその引力に振り回されて、公転するのだ」(a)と。
さてここでもまた、同じ思考実験をやってみよう。
地球ののサイズを、だんだん大きくしてみよう。2倍、4倍、8倍……
そのもっとも極端な場合、地球が太陽と同じ質量まで、大きくなったとしたら?
まさか質量の同じ二つの天体で、(a)が成り立つとは思わないだろう。
この期に及んで太陽がまだびくともせずに、地球を従えているとしたら、太陽どんだけ偉いんだよ、何様のつもりなんだよ、という気がしてくるにちがいない。
もちろん、そんなはずはない。太陽も地球と同様に、動いていなければならない。
きっと「両者の間のどこかを中心として、それぞれが円運動をする」(b)。今の場合は質量が等しいのだから、両者のちょうど中間点が中心となる。
(a)だったはずのものが、いつのまにか(b)に変わっている。
だとしたら両者が同じ質量になった瞬間に、止まっていた太陽が動き出したのか? そんなはずはない。
では(a)から(b)に切りわかる、境目はどこからなのか? 地球が何倍になった時点なのか?
こう自問していくことで、私たちはようやく気づく。事態は初めから(b)だったのだ。
ややこしい思考実験を始める前の、私たちのなじんだ、いつもの大きさの地球の場合も。
太陽と地球は、けっして一方的にではなく、互いに引力で引き合っている。地球が円を描いて回っているように、太陽もまた動いている。両者の間にある、どこかの点注を中心として、円を描いて公転しているのだ。――
(注)「共通の重心」という考え方がある。二つの天体をワンセットで捉えて、一つの物体と考えた場合の重心、質量の均衡点である。
地球はもちろん、太陽もまたこの「共通の重心」を中心として、円を描いて公転している。
ただ「共通の重心」は、質量の大きい方の天体に寄って位置する。
太陽は地球よりあまりにも大きいので、「共通の重心」は太陽の表面より内側に位置する。ずれこんで、めりこんでいるわけだ。
それでも「共通の重心」は、太陽の中心そのものではない。多少地球側に寄った、別の地点である。
したがって、「太陽もまた共通の重心を中心として回っている」という記述は、確かに成立するのだ。
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(話は次回に続く)
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