花見の季節だ。
花見と言えば桜、桜と言えばソメイヨシノである。
いまさら有名すぎる蘊蓄だが、すべてのソメイヨシノは一本の、同じ木を始原とする。
幕末に今の東京・駒込の「染井」村で、ある植木屋が新しいサクラの品種を作り出した。
その木があまりにも姿がよいので、次々と接ぎ木されて、増やされていった。
とりわけ昭和の高度成長期に、全国的に広められて今に至ったのだ。
接ぎ木で増えたということは、クローンである。
受粉・交配ではないので、まったく同じDNAを分け持っている。日本中すべてのソメイヨシノは、単一の木のコピーであり、分身なのだ。
遺伝的に言えば、互いにまったく同一の木――人間で言うなら、いわば一卵性双生児のような存在である。
双生児はもちろん2人だが、ここではたったの「2」ではない。
いわばマナカナ(三倉茉奈・佳奈)が、2人ではなく無数にその数を増やして、日本中でニコニコ愛嬌を振りまいているようなものなのだ。
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昔から、双子の女性タレントが好きである。
古くはザ・ピーナッツ(古すぎるだろ、とここでツッコミが入る)から、ザ・リリーズやリンリン・ランランに至るまで。
そしてマナカナである。
美人が2人、目の前にいればそれだけでもうれしいのに、双方がまったく同じ造作をしている。
まるで真ん中の線で折り返した、奇妙な鏡で映したかのような、不思議な対称をなして並んでいる。
そこには確かに魔法のような、感覚の倒錯がある。
2人ですらそうなのだ。やがてその2人が3人になり、3人が4人になり…はてしなく増殖を重ねていくとしたら?
それこそ総鏡張りの部屋に、無数に同じ姿が映るように、美女の複製が群れをなすのだ。
その壮観たるや、いかばかりのものであろう。ただただ陶然と、見とれてしまう。
男には誰でも、ハーレム願望がある。何千もの裸のオダリスク(女奴隷)に囲まれた館で、たった一人の男性として君臨する。
そのオダリスクが今は、全員が同じ顔かたちだ。世界で最高の裸身がクローンとなって、所狭しと配されているのだ。
考えただけでも、ぞくぞくするような淫靡な興奮を、覚えてしまう。
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人間に関するかぎり、そんなものはあくまでも、荒唐無稽な想像でしかない。
だがソメイヨシノでは実際、同じようなことが起こっているのだ。
そんな奇想を追っているうちに、本当に目の前のサクラが、全部そんなふうに見えてきてしまう。
見渡す限りの美女の軍団に――裸のマナカナに囲まれながら、花見酒に酔いしれる。
何という、素晴らしい眺めだろう。それこそ、「男の本望」以外の何物でもない、夢と悦楽の世界なのだ。
年甲斐もなく、思わず「食指」が動いてしまう。――
いや、真名サン加奈サン、本当にごめんなさい。こんな破廉恥なネタに、不謹慎にも、勝手に名前を使ってしまって。
もういつまでも子役ではなく、いい大人になったお二人に、心からお詫びいたします。
このどうしようもない、エロおやじの妄想を、どうか平にご海容ください。……
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