やんごとなき奴隷たち 

 (話は前回から続く)

 天皇・皇族は、今や最大のセレブにすぎない。――
 だがしかし、たとえそうだとしても、それが国民に夢と希望を与えるのなら、どうしてお前はわざわざ廃止を叫ぶのか? 税金の問題など、その効用と比べたら、取るに足らないものではないのか? 

 理由は単純明快である。
 なぜならばこの制度には、忘れられた犠牲者がいるからだ。

     *

 忘れられた犠牲者――そうだった。
 ちょうど古代ギリシャの民主主義が、奴隷制度に支えられていたように。象徴天皇制もまた、かわいそうな奴隷の存在を、前提としているのだ。

 そんな奴隷なんて、どこにも見当たらないって? 見えないはずである。彼らは九重ここのえの内にいる――皇城の中に囲われているからだ。
 もちろんそれは、天皇・皇族その人である。見かけの富裕に、だまされてはいけない。その実彼らこそが、世界でもっともやんごとなき奴隷なのだ。 

 彼らには姓も戸籍もない。選挙権も言論の自由も、与えられていない。職業選択も。結婚も。皇室会議の承認がなければ、何一つままならないのだ。
 あまつさえ蠅のようにうるさくまとわりつくマスコミに監視され、一挙手一投足を報告されて、かけらほどのプライバシーもない。

 そもそも彼らは、憲法の定義において、国民と対比される存在であって、日本国民そのものではない。
 したがって、すべての国民に気前よく与えられた当たり前の基本的人権が、彼らからはすっかり召し上げられているのだ。
 その暮らしぶりが、経済的にはどんなに恵まれたものに映ろうとも、彼らはやはり、もっとも虐げられた存在だった。
 自己決定権の有無という点では、山谷の路上でカップ酒をくらうおやじの方が、はるかに人間的な生活を送っているのだ。

     *

 確かに国民は、彼らを象徴と仰ぐ。彼らから夢と、希望をもらう。テレビの画面越しに見るドラマに、心を慰められる。
 だがそれが彼らの意志を奪い、無理やり繋ぐことによって成り立っている制度なら、つまるところは籠の中の珍鳥やサーカスの見世物と変わらない。 
 皇室に対してこんな言葉を使うのも奇妙な話だが、「同じ人間として」「人道的に」それはけっして、許される事態ではないのだ。

 それこそ国の統率のためとかいうのならいざ知らず、ただ国民のワイドショー的興味を満たすためだけに、勝手に象徴に祀り上げられてはたまったものではない。
 そんな扱いが、いかに非道なものであるか。彼らの不自由は、いかばかりであるか。
 つつしみ深い当人たちは、なかなか声を挙げることはないが、われわれ国民の側からおもんばかる、配慮を持たなくてはならい。

 ちなみにかつて、平生天皇が生前退位を強く要望されたのは、この問題に何とか先鞭をつけたいという、ささやかな抵抗であったと思う。――

     *

(話は次回に続く)

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