――もはや戦後も80年、戦争なんかしていません。
どこの国にも攻められません。
小学校の教室で習った通り、憲法九条のおかげです♬
九条の護符が貼られた国土には、異国の軍勢も恐れをなして、近づくことができません。
まるで見えない結界でも張られているかのように、お札の霊力に守られて、日本国は永遠に安泰です。
日米安保は要りません。米軍も日本を出てってください。
何なら自衛隊も無用です。憲法九条がありますから。
北朝鮮のミサイルも、あーら不思議、本土にまでは届きません。上空には、神風でも吹いているのでしょうか、全部日本海に落ちていく。
人民解放軍が、ちょっかい出すのも尖閣だけで、沖縄にまでは及びません。もっとも尖閣も、沖縄県ですが。
悪名高いプーチンも、北海道には攻め込みません。もっとも北方領土は、二度と返しませんが。
憲法九条のおかげです♬――
*
もちろん、ただの戯れ歌である。
お花畑の住人の頭の中には、こんなおめでたい唱歌が流れているのではないか、と思ったのだ。
言うまでもなく、現実はそのようなものではない。
確かに戦後80年近く、私たちはずっと自国を守ってきた。
だがそれはけっして、憲法九条のためではない。ひとえにアメリカの軍事力と、日米安保のおかげである。
それは俗に言う、「ケツ持ち」というやつだ。
いわばおっかない親分が後ろに控えていて、いつも睨みを利かせているので、どの国も日本には手を出せなかった。
ただそれだけのことなのだ。
もしそこに結界が張られていたとしたら、それはアメリカという世界一の強国の、威光がなしたものだった。
あの国の警固なしには、何一つ自力では、守れはしなかったのだ。
*
GHQの時代以来、日本は米国の庇護のもとで、復興を遂げてきた。
国防に必要な膨大な戦力と費用を、すっかりアメリカに肩代わりしてもらうことで、経済だけに専念することが可能だったのだ。
敗戦で荒廃した日本を、早急に立て直すこと。そして自由主義同盟の、東アジアの砦とすること。それは当然、アメリカの国益にも――戦略にもかなっていたのだ。
だが今や、日本はすっかり独り立ちした。経済的には、時にはライバルにもなる。
それにもかかわらず米国が、すべて軍事の面倒を見続けるというのは、我々にとってはあまりにもおいしい話だが、さすがに理にかなわない。
そんな矛盾を指摘して、支持を集めたのが、トランプ前大統領だったわけだ。
在留米軍の費用は、同盟国に負担させよ――万事でたらめな大統領でも、この主張ばかりは異を唱える国民はあまりいなかったようだ。
日本は軍備の増強を――軍事費の増額を要請された。敵基地攻撃の能力も、つけなくてはいけない。
この流れは、大統領がいくら代わっても、もう元に戻すことはできない。
あわてたのは、日本の国民の方だ。
水と空気と安全は、ただで手に入ると思っていたのに、どうやらそうではないらしい。
アメリカにおんぶに抱っこの状況に、すっかり慣れっこになってしまったおめでたい民族が、今しも本当の現実を突き付けられて、途方にくれたのだ。
*
岸田政権で、防衛費倍増の方針が打ち出された。そのための増税も、検討されている。
当然、国民は大反対だ。
もしろん、気持ちはよくわかる。今でもカツカツの暮らしだもの、これ以上税金が上がっては、とてもやってはいけない。
増税に代わる手立てが、もしありうるなら、検討するのも結構だ。
だがしかしそれがただ、国防に対する無自覚から来るのなら、亡国の主張だと言わざるをえない。
戦火に逃げ惑う未来への、想像力を欠いての反対なら、必ず命取りになる。
これまでだってやってきたのだから、きっとこれからも何とかなるだろう――そんな「現状維持バイアス」ってやつは、最後にはいつでも身を滅ぼす。
昨今の国際情勢の、緊迫はご存じの通りだ。いくつもの悪辣な覇権国家が、野心をむき出しにしている。
そこからアメリカが、手を引いてしまうというのだ。魔の手を逃れるには、自ら起ち上がるしかない。
憲法九条なんてたわごとに、いつまでもかかずらわっていてはいけない。
平和的な外交努力? 話し合いによる交渉? そんなものは、クソの役にも立ちはしない。
必死に土下座して、貢物を差し上げても、約束なんてあっけなく踏みにじられる。
力には力で、対抗するしかない。
防衛は自国の手で行う。そのための費用は自国でまかなう。そんな当たり前の理屈を、もう一度思い出すことだ。
ぬくぬくと80年、お花畑で見続けてきた甘やかな夢は、今こそ覚めたのだ。――
コメント