エスカレーターは片側を空けましょう

 最近では、エスカレーターで歩くのはやめよう、という話になっているらしい。
 重大な事故につながるかもしれず、危険だからだそうだ。
 事故のデータは知らないから何とも言えないが、「歩いても数十秒しか違わないのに」という論拠には承服しかねる。

 確かにその場では些細なロスでも、そのことで電車に一本、乗り遅れるかもしれない。
 都会ならすぐに、次の電車が来るって? だがそこでの数分の遅れのために、飛行機に乗り遅れるかもしれない。絶対にしくじれない商談に遅刻して、先方を怒らせて、会社が傾くかもしれない。
 何かの重大な、刻限を守れなかったために、人生が大きく変わってしまうことだってあるのだ。
 「バタフライ効果」という、言葉もあるだろう。最初は取るに足らない、蝶の羽ばたきにすぎなかったものが、めぐりめぐって竜巻を引き起こすこともある。――ちょうどそれと同じように、悪運が 玉突き式に連鎖するうちに、どんどんと増幅して、最後には取り返しのつかない破局に至る。……

 それなのに、頭の悪い人間にかぎって、そんな可能性に思い至らない。
 彼らは目の前の状況の中だけに、牢獄のように囚われて生きている。
 起こるかもしれない未知の事態やら。自分以外の他者の立場やら。はてしなく続く因果の連鎖やらに、想像をめぐらすことが、けっしてできない。 
 件の主張をした人も、きっとそういうタイプの人間なんじゃないかな。

     *

 片側を空けるといっても、左右のどちらを空けるかは、地域によって差があるらしい。
 東京を初めとして、全国的には左に立つが、関西方面では右が多い。外国では右に立つほうが、主流だそうだ。
 そうした差異が生まれた原因は、様々な憶測がなされているが、正直よくわからない。

 左右どちらを空けているか、という現象には確かに興味があるが、どちらを空ける「べきか」という議論になると、首をかしげる。
 自分の前の人と同じ側に立って、「片側は空けておきましょう」で十分なのである。
 前の人が右に立てば、自分も右に立つ。左なら左である。
 たまたま先頭の人が立った側に、全員がそろうのだ。 

 俺は大阪出身だし、右利きで右の手すりを握りたいから、誰が何と言おうと右に立つ? 東京の人間は、大切な心臓を守るためにも、必ず左に立つ「べきだ」?――列の前の人はみんな逆に並んでいるのに、大勢に逆らって、あくまで自分の流儀を押し通す。
 もしそんなへそ曲がりの天邪鬼がいたとしたら、それは頑固なのではなく、ただただ頭が悪いのだ。

 そうだった。思い込みの世界で生きていて、柔軟な発想ができない。
 凝り固まった、十年一日の習慣にしがみつき、新しい状況に即応できない。――これもまた、頭の悪い人間の特徴なのだ。

     *

 片側空けを主張すると、必ずこう言い出すやつが出てくる。
 中には体の不自由な方もいて、どちらか片方の手すりしか、握れないこともある。――

 まるで水戸黄門の印籠みたいに、障碍を持ち出せば、みんなが「ははぁ」とひれ伏すと思っているようだ。
 だがおあいにくさま。体の不自由な方がいらしても、簡単な解決策があります。
 左立ちの列のときでも、もし右側にしか立てないのなら、それでかまいません。ただ前のかたの後に一段空けて、隙間を作ってお乗りください。
 そうすれば、あーら不思議。後ろから歩いてきた人が、通り抜ける道が、ちゃあんとできますから。――

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