昨日の私の投稿を見て、 ミソジニー(女性蔑視)だ、と眉を曇らせる方もいると思う。
そんなことはない(笑)。
私が男女別競技よりも、もっとも腹立たしく思うのは、実は体重別競技なのだ。
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たとえばプロのボクシングでいうなら、体重ごとにご丁寧に、17もの階級分けがある。
階級の垣根を越えた対戦は、まず見られない。
それはそうだろう。ヘビー級(体重90.72kg超)とミニマム級(体重47.62kg以下)の選手では、試合にならない。
軽量級のパンチが当たっても、屁でもない。逆に重量級のパンチをくらったら、たちまち吹っ飛ばされてしまうのは、一目瞭然だからだ。
だからリングの上では 両者はけっして相まみえることはない。
だが現実の、外の世界ではどうなのだろう?
二人が街中で 鉢合わせることもあるだろう。いがみあうこともあるだろう。
そんなとき、すわストリートファイト、となっても、軽量の方に勝ち目はない。やはり尻尾を巻いて、逃げ出すしかないのだ。
そんなひ弱なやつらが 今しもリングの上で、チャンピオンベルトを巻いている。――そんなふうに思うと、やはり疑問が浮かばずにいられない。
弱いやつ同士で集まって一番を決めている、というだけなのに、栄光の闘いなのか? 感動のドラマなのか?
本当の「すごいやつら」を見たいだけなのに、こんなまがいものが――こんなひょろひょろのチビが、真の王者なのか?
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恐ろしいことに、現在ではほとんどすべてのスポーツで、このシステムが採用されている。
無差別級一つで 本当にもっとも強いやつを、決めればいいだけなのに。
それでは体格の劣った選手の出番がなくなると、弱い者のために弱い者だけの階級を作って、 トップを王座を争わせているのだ。
競技振興のため、という大義名分は聞こえはいい。
だが本音を言うなら、要するにすべてはそろばん勘定なのだ。
一つでも多く階級を作って、一つでもより多くのタイトルマッチを組む。観客を会場に呼びこみ、番組をテレビに売り込んで、収入を上げる。
そんな組織団体の、興行的な思惑が、そうさせているのだ。
もちろん小柄な選手だって、必死に頑張っている。そこには確かに、感動のドラマがあるだろう。
だから彼らに、活躍の場を与えるのは、けっして間違えではない。
だがそれはあくまで「弱いなりに」、「弱い者の中では」の、努力賞の範疇である。
それがさも、本当の世界の頂点に立ったように 勘違いして思い上がっているのが、滑稽でならないのですよ。
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(話は明日に続く)
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