(話は前回から続く)
現在ではほとんどすべてのスポーツで、この体重別が採用されている。
プロボクシングで言うなら、そこには17もの階級分けがある。
そしてそれぞれのクラスに、それぞれのチャンピオンが生まれる。――
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そのうえおそろしいことに、ボクシングには組織団体が、4つも乱立している。
それぞれの組織がチャンピョンを出すわけだから、掛け算すると17×4、全部で68人の世界チャンピオンが、量産されることになるのだ。
それこそ、掃いて捨てるほどいるのである。
少年たちは、世界チャンピオンにあこがれる。それはもちろん、世界で一番強い男だからだ。
それなのに、目の前のこれはどうだろう。
世界で一番が、こんなにたくさんいるの? それじゃあ全然、一番なんかじゃないじゃん。――そんな失望の 声が、何だが聞こえてきそうである。
それでもまだ、重量級なら様になる。
軽量級の半裸姿は、いかにも虚弱に映ってしまう。
これはあくまで一例で、個人的には何の恨みもないが、「WBA世界ミニマム級チャンピオン」とか聞くと、ただただ笑ってしまう。――
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そして地獄の減量、である。
それぞれの階級の課す体重制限のために、選手たちは苛酷な減量を強いられる。
食事はおろか水さえも断って、過重なトレーニングで、体を絞りぬく。
その姿がスポ根ドラマでは、いつしか苦闘の人生の象徴として、――アイコンとして用いられるようになる。
勝利のために命を削る、壮絶な戦い。
栄光のために、すべての幸福を断念して捧げる。
耐えるだけの長い時間。そして訪れるかもしれない悲劇。――
そこには確かに詩があり、崇高なドラマがあるように見える。
たがしかし、本当はそれはそうではない。
考えてもみたまえ。
ボクシングはけっして、減量など強いてはいない。
十分満足がいくまで食べて、力を付けていい。ただその体重で――上の階級で戦えばいいだけのことだ。
それにもかかわらず、彼らは自ら望んで、減量の方を選ぶのだ。
理由は簡単だ。
下の階級の軽量の選手なら、パンチ力もなく、打たれ弱い。上のクラスの強者を相手にするよりも、はるかにくみしやすいからだ。
だとしたら、何一つ美化できるものなどない。
冷ややかに眺めれば、そこにあるのはただ、――少しでも弱い相手と戦いたいと、必死をこいて画策する、姑息な世間知にすぎない。……
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(話は明日に続く)
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