何人いんの? ボクシング世界チャンピオン

 (話は前回から続く)

 現在ではほとんどすべてのスポーツで、この体重別が採用されている。
 プロボクシングで言うなら、そこには17もの階級分けがある。
 そしてそれぞれのクラスに、それぞれのチャンピオンが生まれる。――

     *

 そのうえおそろしいことに、ボクシングには組織団体が、4つも乱立している。
 それぞれの組織がチャンピョンを出すわけだから、掛け算すると17×4、全部で68人の世界チャンピオンが、量産されることになるのだ。
 それこそ、掃いて捨てるほどいるのである。

 少年たちは、世界チャンピオンにあこがれる。それはもちろん、世界で一番強い男だからだ。
 それなのに、目の前のこれはどうだろう。
 世界で一番が、こんなにたくさんいるの? それじゃあ全然、一番なんかじゃないじゃん。――そんな失望の 声が、何だが聞こえてきそうである。

 それでもまだ、重量級なら様になる。
 軽量級の半裸姿は、いかにも虚弱に映ってしまう。
 これはあくまで一例で、個人的には何の恨みもないが、「WBA世界ミニマム級チャンピオン」とか聞くと、ただただ笑ってしまう。――

     *

 そして地獄の減量、である。

 それぞれの階級の課す体重制限のために、選手たちは苛酷な減量を強いられる。
 食事はおろか水さえも断って、過重なトレーニングで、体を絞りぬく。

 その姿がスポ根ドラマでは、いつしか苦闘の人生の象徴として、――アイコンとして用いられるようになる。
 勝利のために命を削る、壮絶な戦い。 
 栄光のために、すべての幸福を断念して捧げる。 
 耐えるだけの長い時間。そして訪れるかもしれない悲劇。――
 そこには確かに詩があり、崇高なドラマがあるように見える。

 たがしかし、本当はそれはそうではない。
 考えてもみたまえ。
 ボクシングはけっして、減量など強いてはいない。
 十分満足がいくまで食べて、力を付けていい。ただその体重で――上の階級で戦えばいいだけのことだ。
 それにもかかわらず、彼らは自ら望んで、減量の方を選ぶのだ。

 理由は簡単だ。
 下の階級の軽量の選手なら、パンチ力もなく、打たれ弱い。上のクラスの強者を相手にするよりも、はるかにくみしやすいからだ。
 だとしたら、何一つ美化できるものなどない。
 冷ややかに眺めれば、そこにあるのはただ、――少しでも弱い相手と戦いたいと、必死をこいて画策する、姑息な世間知にすぎない。……

     *

(話は明日に続く)

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