志村けんの遺産の行方

(話は前回から続く)

     *

 前述のように、実は私には兄がいる。こいつが最低の、クソ野郎なのだ。
 どういうふうに最低なのか、誰も関心はないだろうから、詳細は伏せる。とにかく典型的な、人間のクズなのだ。
 当然顔も見たくないくらいに、折り合いが悪い。互いに軽蔑しあい、ときには憎悪しながら、これまでの人生を生きてきたわけだ。 

 もし私が早死にでもしようものなら、あの忌まわしい民法の規定により、私の財産は丸々こいつのものになってしまう。
 そして何よりおそろしいことに、たとえ私が早死にしなくても、――あいつよりずっと長生きしたとしても、問題は少しも解決しない。
 そうなのだ。
 運悪くあいつには、二人も子供がいる。あろうことか、そいつらがいつのまにか、私の法定相続人に収まっているわけだ。

 クソ野郎の子供だから、当然クソ娘(性別は女)である。
 私の血と汗の結晶は、あんなやつらの飲み食いに費やされてしまうのか――そのうえ娘は結婚して、もうすぐ子供が生まれるらしい。
 私の分捕られた財産は、どうやら代々あちら・・・の家系に、受け継がれていくことになっているのだ。
 想像しただけでも、寒気がする。このままではとてもじゃないが、成仏なんかできはしない。――

    * 

 そんな事態だけは何としても、何としても避けなくてはならない。――
 だとしたら自分は、一体どんな方策を講じるべきか?

 もちろん死んだ後の世界のことなんて、大して関心はない。ただあいつらに分捕られなくてすむのなら、遺産はドブに捨ててもいい。犬にでも、くれてやってもいい。
 だが現実的には、そういうわけにもいかないから、どこか無難な慈善団体あたりに、寄付してやろうと思っている。定番で言えば、日本赤十字か何かかな。

 もちろん生きているうちに寄付すれば、もっと恰好がいい。
 だが今後何年生きるかわからないから、そのための生活費も、確保しておかなければならない。
 遊興費もたっぷり、取っておきたい(笑)。さんざん使ってしまった後に、死んでから残った分だけ、ちょろりと寄付して終わろうというわけだ。
  これを「遺贈」と言うのだそうだ。ずいぶんセコいやり方だが、今の自分には、これがせいぜい最善の選択なのだ。

     *

 もちろん遺言を書いただけでは、手抜かりがある。
 私が死んだとき、第一発見者は、兄一族になる可能性が高い。そうでなくとも、真っ先に連絡が行くのはそこになる。
 彼らがそんな私の遺言書を見つければ、当然握りつぶして、シカトしようとするだろう。そして日本国の法律の定める通りに、遺産をかっさらおうとするだろう。
 そんな事態を避けるために、細心の配慮が必要なのだ。

 遺言信託という制度がある。信託銀行などが手がけているものだ。
 保証人を立てて公式の遺言書を作成し、死亡届が出るやすみやかに発効するように、執行役を委託するのである。もちろん然るべき手数料は払って。
 そうだ。これで行こう。

 名案が浮かぶと、たちまち想像の翼が広がる。
 私の死亡の連絡を受けた兄が、まずは欣喜雀躍する。生意気ばかり言っていた弟が先にくたばって、遺産をまるまるせしめることができた僥倖に、高笑いするのだ。

 それから普段は足も踏み入れないわが家に、このときばかりはいそいそと現れて、家探やさがしを始める。
 だがそこでは、もはや万全な手続きがなされている。 遺言信託という護符でしっかり結界を張られ、私の遺産に手をつけることはかなわないのだ。
 兄貴は初め呆然とする。続いて地団駄を踏みながら、わめき散らすのだ。
 ――冗談じゃねえよ!「血のつながり」もない、赤の他人に寄付するなんて。ふざけんじゃねえよ。俺たちの・・・・金のはずなのに、勝手なことしやがって!

 そうして歯がみする兄貴の吠え面が、今から目に浮かぶ。すると今度は、こっちが高笑いしたくなる。
 ざまあみやがれ。クソ野郎。そうそう何でも、お前の目論見通りになってたまるものか。――  
 そんな結末が待ちきれなくて、何だか試しに、早死にしてみたい気になってくる。(笑)

     *

 志村けんが亡くなった。遺産の総額は、10億とも言われる。
 志村さんが独身貴族だったのは、有名である。だがだとしたら、残されたその財産はどこに行くのか?

 隠し子がいるという噂もあったが、いまだに現れたという話は聞いていない。もちろん御両親はとうに亡く、ただ二人のお兄様が健在なようである。
 跡継ぎがなく、配偶者もいない。ただ兄弟だけはある。――遺産の金額を除けば、それは私の置かれた状況に大層よく似ている。
 だからどうしても、自分の場合を重ねて考えてしまう。

 先日テレビの番組で、ご長兄がインタビューに答えていた。
 もちろん画面に映るその姿は、篤実そのもので、うちの兄貴とは似ても似つかない。

 だがもしも仮に、自分が志村けんで、うちのクソ兄貴がその長兄であったとしたら。(話がだいぶややこしくなってきた 笑)――
 期せずして、そうして労せずしてころがりこんだ大金に、おそらく小躍りして喜んだろう。

 殊勝な顔で、テレビのインタビューに答え。弟の死を悼んだ、その後で。
 夕食では家族そろって、グルメ料理に舌鼓を打ちながら、きっと祝杯を上げるにちがいない。
 いや、あくまでもうちの兄貴なら、という話だ。もしうちのクソ兄貴なら。必ずそうするだろう、と信じているのだ。

 そういうやつなんだよ。あの男は。

          *うちの兄貴のこと。志村けんのお兄様ではないので、一応念のため。

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