近頃の力士は怪我が多い、と言う。
横綱、大関と次々休場する有様に、大御所たちは嘆く。
稽古が足りないからだ。稽古でしっかり体を作っていないから、すぐに故障をする。
昔の力士は、こんなではなかった。 ――
だけど自分に言わせれば、問題は稽古の量などではない。
本来、あれだけの巨体の戦闘マシーンが、始終本気でぶつかり合っていれば、体が無事で済むわけはないのだ。
昔の力士がそうでなかったとすれば、それは単にご存じ互助会相撲が、横行していたからにすぎない。
それはただ成績調整のための、星の売り買いや貸し借り(八百長)ばかりではない。互いに相手の体をいたわる、優しい手抜き相撲で、お茶を濁すのもしばしばだったのだ。
ごくまれに、そんななれ合いを拒み続けた力士には、悲惨な末路が待ち構えていた。
ガチンコ横綱貴乃花なんて、ほら見たことか最後には、体ボロボロになって、引退に追い込まれたわけだ。
だがしかし2011年、例の「あとは流れで」の暴露事件を発端に、大騒動が起こった。
その後の相撲協会の、浄化の努力が実を結び、無気力相撲はすっかりなくなった(はずだ)。
その結果ありがたいことに、土俵では毎回迫力ある真剣勝負が見られる。――だがしかしその裏側で、負傷者の山が築かれたのもまた、無理からぬことなのだ。
それはガチンコ勝負が支払わなければならない、当然の代償だった。
力士たちの包帯姿は、けっして大御所がのたまうような 軟弱とは違う。真剣勝負に徹した大男たちの、名誉の戦傷なのだ。
そう思えば穴だらけの、惨憺たる取り組み表も、協会の改革が遵行された証しなのだ。だとしたら、あながち悲しいとばかりは言い切れないのだろう。
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