「カナ表記法」の歴史おもしろ話

 日本語の、表記の話をしよう。

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 50年ほど前までは、田舎の学校にはまだ「ペー(page)」のことを、「ペー」と清音で発音する先生がいたものだ。
――はい、授業を始めます。教科書を開いて。46ペー
 のようにやっていたのだ。

 外来語をなまるなよ、と思わず突っ込みたくなる。
 方言なんていうものは、その土地に代々受け継がれてきた、言語的伝統のはずだ。

 それが海外からの、新来の言葉に当てはまるというのは、一体いかがなものか?

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 種明かしをすれば、こういうことだ。

 日本語には元来、濁音を文字で表す方法、つまり現在で言う濁点のようなものはなかった。一部では考案されていたとしても、一般化はしていなかった。

 たとえば明治元年の、あの有名な『五箇条の御誓文』の原文は、
――廣ク會議ヲ興シ、萬機公󠄁論ニ決スヘシ
 のように記されている。
 もちろん「決すべし」と読むのだが、表記には濁点がないのである。

 発音が「べし」なのか「へし」なのか、どうやって区別したのか、って?
 区別する必要なんて、なかったのだ。
 日本語には「へし」なんて単語はないわけだし、たとえあったとしても、この文脈で使われるのは「べし」であるのは明らかだ。
 すべてはそうやって、暗黙の了解に基づいて、処理されていたのだ。

 それで何にも、問題はなかった。みんなが旧来の日本語という、共通の言語的認識の、上に立っているかぎりは。
 だがしかし明治期以降、大量の外来語が流入した。あるいは、造語が作られた。
 それまで一度も、耳で聞いたことのない言葉を、初めて文字で見た場合。従来のやり方は、もはや通用しなくなった。

 最初に文字を見た先生は、当然困惑した。
「ペーシ」と表記されたこの単語が、清音なのか濁音なのかわからない。たぶん清音なんだろう、と当てずっぽうで読んだのだ。
 なにせ田舎のことだから、そんな先人の誤読が、その後もガラパゴス的に継承された。  
 冒頭の先生のような存在も、そんな背景から、生まれたものなのにちがいない。

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 濁音だけではない。拗音に関しても、事情は同じだった。

 たとえば fence(柵) は、我々にとっては「フンス」だが、かつては「フンス」と表記していた。
 小さいカナの「ェ」を、使う習慣はなかったのである。
 従ってここでもまた、最初に文字から単語を覚えた人間は、誤読をした。実際自分の死んだ父親は、「花壇のふえんすが倒れた」のように発音していたと記憶している。

 かつては蝶のことを、「てふ」と書いていたのは有名である。蝶々なら「てふてふ」となる。
 これにはやや複雑な、単語の歴史がからむのだが、ここでは割愛しよう。
 だが少なくとも、拗音表記の問題が、この奇妙なつづりの一因となっていることは間違いない。
 我々の書く「ちょう」の、真ん中の小さい「ょ」に当たるものが、なかったというわけだ。

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 そして、促音も――
 つい百年前までは、「合戦」は「かつせん」。「これによって」は「これによつて」。どちらも大きな「つ」を用いて、書かれていたわけだ。

 話は少し脱線する。
 かつてある高校生女子ゴルファー(後にプロ転向 現在も活躍中)が、不品行のために退学処分をくらった。(参考
 直接の罪科は飲酒と無免許運転だが、世間を騒がせたのはむしろ、その下半身の無軌道ぶりだ。
 ネットに晒されたのは、カレシと抱き合っているプリクラだった。そこにペイントされた、落書きの文面がこれだ。
――夏わヤパ海 海とゆえばSEX

 尋常の日本語に翻訳すれば、「夏はやっばり、海が一番でしょ。海と言えば、SEXが付き物だよね」となる。
 注目は「ヤパ」だ。「ヤッパリ」と書くべきところに、小さな「ッ」が入らない。
 だがそれも、あながち不思議な現象ではない。
 促音は小さな「っ」で示す??――我々がなじんできたそんな習慣も、よくよく考えてみれは、けっして自然な表記とは言えない。
 他に方法がないために、いわば勝手にでっちあげた、かなり無理やりな決め事なのだ。

 なんでそんな、おかしなことになるの? 一体誰が、どこで決めたの?――小学校でみんなが押し付けられた、問答無用の基礎訓練を、なぜか怠ってしまった子供たちが。後々こうして途方に暮れるのも、わからないではないだろう。
 古人なら「やつぱ」と大きな「つ」で書くところを、この奔放な娘はきわめて独創的に、「やぱ」と「っ」を省くことによって解決したわけだ。

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 お堅い話ばかりになってはいけないので、最後に一つ、ギャグでもかましておこう。

 カタカナの「シ」と「ツ」は、概形が似ている。
 活字を読むときもそうだが、手書きで書くと、どちらか判別できない字体になってしまうことも多い。
 というよりも、書いている本人が、違いがわかっていない。逆に覚えていたりすることもあるのだ。 

 まだ電子メールなどなかった時代に、ある女の子がボーイフレンドにラブレターを書いた。
 当時流行っていた歌(注)の歌詞にあった、「罪作り」という言葉を、まねして使ってみた。
 ただ「罪」という漢字が、書けなかったのか。あるいはその方が、可愛らしく見えると考えたのか。あろうことか、おぼつかないカタカタで書てみせたのだ。
 出来上がった文面は、こうなった。
――私って、ホントにシミ作り

 一体どこに、そんなにシミを作るのか。思わず想像を、たくましくしてしまった(笑)――

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