頭がよかったら理Ⅲ(東大医学部進学過程)なんて行きやしない 

 東大の理科三類(医学部進学過程 通称理Ⅲ)と言えば、受験界の頂点のように言われている。

 いわゆる偏差値の体系では、東大が一番上に位置している。
 その中でも、同じ試験問題(理系)を解いて、合格者平均点も、最低点も他の学部(正式には科類と呼ぶ)より高い。

 したがって頂点に君臨している、とイメージされるのも、まあ無理はない。

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 だがくれぐれも、誤解しないでほしい。 

 理系の受験生を得点順に並べて、上から理Ⅲ、理Ⅰ(理工学部進学過程)、理Ⅱ(農学部進学過程)と、輪切りにしていくわけではない。
 受験生は、それぞれの思い描く進路に合わせて、科類を選択する。合否の判定は、それぞれの科類ごとに、別個に行われる。
 ただ試験問題が共通なので、データの比較は可能になる。その結果、たまたま理Ⅲの点数が高く出ている、というだけなのだ。

 合格者平均点も、合格者最低点も他の科類より高い。
 だが理Ⅲの生徒全体が、理Ⅰの生徒全体のより上、ということではない。
 理Ⅰのトップ合格者が、理Ⅲの下位合格者よりも得点が下、なんてことはまかりまちがっても起こりはしない。

 理Ⅰの志望者は、理工学部に進みたいから、そこに願書を出したのだ。
 自分の学力では理Ⅲは無理そうだから、しかたなく理Ⅰを受験した、なんていう不心得者は、たとえいたとしてもごくまれである。

 当たり前と言えば当たり前のことだが、一人歩きする数字に幻惑されて、いつのまにか錯覚に囚われている人もまた多いのだ。

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 東大理学部の学生が、医学部の学生にコンプレックスを抱いている、なんてことももちろんない。
 それでは対等と捉えているのか、って? 残念ながら、そうでもない。
 理学部の学生は――物理学科や数学科の人間は、医学部の人間を、完全に下に見ているのだ。
「頭がよかったら、医学部なんていかないよ」
と、かえって小馬鹿にしているわけだ。
 それは一体、なぜなのか?

 もちろん近年は、医学の内容もずいぶん変化してきた。
 だが少なくとも、自分が学生だった時分には、医学は「実学」に近かった。
 数学・物理のような「純粋科学」に比べて、「実学」が劣っている、というつもりはもちろんない。
 だがしかし、こと「頭のよさ」という点では、前者に軍配が上がる――そうイメージしてしまうのは、あながち偏屈とは言えないだろう。

 「相対性理論」を組み立てたり、「宇宙際タイヒミュラー理論」を唱えたりする脳みそと。
 がんの治療法を研究する脳みそと。
 両者を比して、どちらがより高度で、天才的なひらめきに恵まれているか。
 そういう観点で捉えた時、「理Ⅲの人間はもっとも頭がいい」なんて迷信は、たちまち雲散霧消してしまうだろう。

 実際理Ⅲ出身で、ノーベル賞を取ったやつなんて、一人もいやしない。
 医学部全体で言ったって、2012年の山中伸弥氏(大阪市立大学)が、初めての受賞者であった。
 せいぜい大学入試レベルの問題で、全科目そつなく得点した?――その程度のことを勲章と思っている連中なんて、高邁なる理学部の頭脳とは、もとより比ぶべくもない。
 学者たちはそういう矜持を抱きながら、日夜研究に励んでいるわけだ。 

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 かつて将棋の、米長邦雄棋聖が言った。
「三人の兄たちは、頭が悪いから東大に行った。私は頭が良いから、将棋の棋士になった」
 言い得て妙である。

 東大生なんていったって、半分はバッパラバーである。「ホリエモン」レベルが、うじゃうじゃいるわけだから(笑)
 だが棋界にはたぶん、バカはいない。
 人数だけ考えたって、そうだろう。
 将棋でプロ棋士になれるのは、年間4人だけの狭き門だ。東大なんて、全学部あわせれば年間3000人も合格するんだから、その大半はバカだと言い切っても、別段暴論ではない。

 別に東大の悪口を言うわけでないが、世人が抱くイメージとその実態とは、必ずしも同じではない。
 世の中一般の評価と、内輪のそれとでは、まったく逆のこともあるのだ。
 理Ⅲに関しても、それは同じことだ。
 理Ⅲの学生は頭がいいと、世間の人間はてっきり思い込んでいる。だけどそれは、必ずしも事実ではない。少なくとも内輪の人間は、まったくそういうふうには捉えていないのだ。

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 またたとえば、毎年理Ⅲの合格者の中には、一定数の「再受験組」がいる。
 再受験というと、素人はこう思うだろう。
 現役のときには理Ⅲに受からずに、他大学に進学した。それでも諦めきれずに、翌年理Ⅲを受け直したんだろう、と。

 もちろんその程度の連中も、いないではない。
 だが今自分が言っているのは、それとは違う。いったん東大の理学部を卒業した後に、理Ⅲを再受験するケースだ。

 彼らの動機は、まったく逆である。
 自分は本当は物理学者・数学者になりたかった。だけれど自分程度の頭では、過去の天才たちに、到底太刀打ちできない。
 そのことを、もう十分に思い知らされた。だから、しかたがない、明日のごはんにありつくために、とりあえず医者にでもなっておくか。

 つまりは「あきらめて」、「泣く泣く」理Ⅲに行った。
 すべては志破れたあとの、――天才になりそこねた秀才たちの、身過ぎ世過ぎでしかないわけだ。 

  (話は次回に続く)

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