(話は前回から続く)
愚かなファンほど、競馬のレースに、人生を重ね合わせる。――
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笑っちゃうのは、「ハルウララ」(注)だ。
前記の二頭のスターホースとは、まったく違う。
中央競馬ですらない高知競馬で、生涯成績は113戦0勝。一回も勝たなかったのである。
あまりにも負け続けるので、逆に人気が出た。
60連敗を越えたあたりから、話題になり始める。
初めはみんな、ネタとしておもしろがっていただけだった。
負け続けの馬の初勝利に出くわすことができたら――そのうえその単勝馬券でも握っていたら、さぞSNSでヒーローになれるだろう、と考える者もいたかもしれない。
だがそのうち、例の浪花節の、人生競馬が始まった。
負けても負けても一生懸命に走る、健気な馬の姿が感動的だ、とのたまうのだ。
下流国民が、またしても自らのうだつの上がらない人生を重ね合わせて、応援し始めたのだ。
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だがやつらは、何にもわかっちゃいない。
ハルウララの走っているのは、強者どもがしのぎを削る、中央の大レースではない。
田舎競馬の「未勝利戦」。今まで勝ったことのない馬同士が、1着を競い合う「駆けっこ」みたいなレースだ。
シーズン当初は、そこそこの能力の馬もいる。でもそんな馬はすぐに勝利して、「イチ抜けた」となる。
一年の最後には、箸にも棒にも掛からぬ馬ばかりが後に残って、ただ馬券を売るためにお遊戯を繰り返すのだ。
クズ馬同士の争いだから、どんぐりの背比べで、もはや力量なんて関係ない。何かの風の吹き回しで、ちょっとでも他よりやる気を出した馬は、たちまち勝利を収めて卒業していく。
そこで一生負け続けるってことは、やる気がまったくないってことだ。
「健気に一生懸命走って」なんていない。騎手に強いられて、いやいや走っているだけだ。
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あるいはひょっとしたら、もっとたちが悪い。
一生懸命走っている、ふりだけはする。
そうして外面だけは繕っておいて、実はチンタラと楽をして、手抜きで走っている。
表と裏を使い分けて、適当にその場を流しておけば、とりあえず今日明日のおまんまにはありつける。
無理をして頑張ってレースに勝ったって、賞金がもらえるのは人間だけだ。馬に特別ご馳走が出るわけじゃない、と知っているのだ。
大きな欲なんかかくよりも、こじんまりと無難に生きた方が、結局は得をする。
そんなこすからい処世術を身に着けたヤツって、人間にもいるだろう。
つまりはまったく別の意味で、「人生を重ね合わせ」たくなる、ずる賢い馬なのだ。
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かつて中央競馬のスター騎手の武豊が、お祭り騒ぎにわざわざ駆り出されて、ハルウララに騎乗したことがある。
レースの二週間前、武はブログで、ハルウララブームへの疑問を綴っていた。不快感を表していた。
きっと騎手は、そのあたりの馬の本質を、鋭く見抜いていたのだと思う。
もっともレースの当日のインタビューでは、掌を返したかのように、ありきたりの社交辞令を述べていた。
きっと競馬会の方から、お叱りがあったのだろう。せっかくの盛り上がりに、水を差すもんじゃない、と。
一流騎手ですら、言いたいことを言わせてはもらえない。組織の歯車となって、長いものに巻かれるしかない。
このあたりのいきさつの方が、よっぽど世の中の縮図であり、人生そのものだと思うのだが、いかがなものであろうか。――
(話は次回に続く)
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