<皆殺しのルメイ>
「やらない」には二つの場合がある。
一つは、やれるけどやらない。もう一つは、やれないからやらない。
それをごっちゃにしちゃあいけない。
先の大戦で、日本はアメリカに原爆を落とさなかった。無差別の空襲もしなかった。
何て高潔で、道徳的な国民だろう――それに比べてアメリカ人は、何て野蛮で非道な連中だろう。
なんて、まさか思っていないよね。
日本軍も必死になって原爆を作ろうとした。だけど作れなかった。ただそれだけだ。チャチな飛行機では、米本土まで届かなかった。
もしその能力があれば、やりたい放題焼き尽くしただろう。
アメリカ軍は倫理的に戦っていた。ずっと人道主義を忘れなかった。
手あたり次第の絨毯爆撃は避けた。民間人の犠牲が出ないように、軍施設だけをピンポイントで狙う。精密爆撃を心掛けた。
最後の最後に、「皆殺しのルメイ」(注)と呼ばれた、あの悪魔が現れるまでは。――
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<極悪人の弁護をする弁護士は許さん!>
被告人は裁判で有罪判決を受けて、初めて犯罪者となる。
それまでは「推定無罪」の原則が働き、罪人として扱われてはならない。
当然のことながら、弁護士をつけて弁護を受ける権利がある。
それが文明国の、司法手続きである。
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当たり前のことだ。
有罪か否かを決めるのが裁判であり、裁判の結審以前は、そのどちらでもない。
だがそれがわかってはいても、ついマスコミの事件報道などにあおられると、被告がてっきりおそろしい怪物のように思えてしまう。決めつけてしまう。
あげくのはてには、実はあれは冤罪でした、などという笑えないどんでん返しになることも、過去にはいくつもあった。
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わかってはいても、――だがときには、当たり前の理屈がわからない方々が現われる。
ある事件の被告人を担当した弁護士の事務所に、見るからにアホ面の男がねじ込んで来たという。
「お前はこんな極悪人の弁護をするつもりか!」
と、いかにも憤懣やるかたないというふうに、口から泡を吹いている。
こうなるともう、始末に負えない。
ちょうど王手を掛けられても、迷わず攻め続けるヘボ将棋のように。悟性のルールを理解できない連中に、どんなに道理を説いてもむだである。
理知の裏付けのない、盲目的な正義感に駆り立てられて、ただひたすらわめき散らす。目が据わっている。
こういう連中に出会ったら、もはやいかんともしがたい。くれぐれも命を狙われないように、注意しなくてはならない。――
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まあ昨今ネットで、しきりに「ケシカラン」の気炎を上げているあの輩も。所詮はたいてい、その類いなんだけれども。
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<不吉な星が現れた>
ハレー彗星は約75年に一回、地球に接近する。その出現は古来、凶事の前兆とされてきた。
218年に現れたときには、その2年後に漢(中国)が滅びた。……
――しかし、何で2年後なんだ? 不吉だというのなら、せめてすぐ前の年に現れろよ(笑)
837年のときには、フランク王国の分裂が起きた。……
1066年には、イギリスがノルマン人に征服された(ノルマン・コンクェスト)。……
――そんな事件、今じゃあ世界史の教科書にも載っていない。誰も知らない。
その当時の、その国の人間にはそりゃあ大悲劇だったんだろう。ほうら、不吉だろう、と言うかもしれない。
でもその程度の出来事で彗星が現われるんなら、空は毎日彗星だらけになってしまう(笑)
そもそもノルマン・コンクェストが不幸なのは、イギリス人にとってだけだ。ノルマン人の側から言えば、笑いが止まらない。
ハレー彗星はまぎれもない「瑞祥」だったわけである。
迷信なんていうものは、所詮みんな、そんなものばかりなのだ。
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