「オレは性豪だ」――乙武洋匡さんに弟子入りしたい

<乙武さんに弟子入りしたい>

 聞くところによると、乙武洋匡さんは周囲の人間に、「オレは性豪なんだ」と吹聴しているらしい。どんな女でも夢中にさせてみせると。

 2016年に発覚した「五股不倫騒動」(注)を考えると、それもあながち嘘や冗談ではないらしい。

 だがしかし五体不満足(注)なあの体で、一体どうやって?――というのが、誰でも抱く正直な感想だろう。

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 しかし、こんな学説もある。
 ある一つの身体機能を失った人間は、それを埋め合わせるように、別の身体機能が尋常ならざる発達を遂げる。
 たとえば両手の欠けた障害者は、両足を使って日常の作業を行う。紐を結んだりもできるんだそうだ。

 だとしたら四肢のない乙武さんの場合は、ひょっとしたら性器がその代替をする。きっと紐も結べるのだ。
 紐が結べるくらいだから、女を泣かせるくらい朝飯前だ。
 きっと「中」で絶妙な動きをする。膣の粘膜を、結んでしまうのかもしれない(笑)

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 その奥義たるや、端倪たんげいすべからざるものがある。
 
 自分もそっちの方面では、これまでずっと達人を自認してきた。だがもちろん、両手両足を縛られたら、文字通り手も足も出ない。

 だとしたら乙武さんのそれは、とうてい自分の比ではない。
 五体満足な自分も、ぜひともあのお方に弟子入りをして。
 そのカーマ・スートラ(注)の秘法を、思う存分伝授していただきたいものである。―― 

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<避雷針になってしまったイエス・キリスト>

 無学な人間は、ときどき勘違いをする。
「鷹狩」と言っても、鷹を・・狩るわけじゃあない。鷹を使って・・・・・獲物を狩る。

 同様に「避雷針」と言っても、雷が落ちないわけじゃない。
 むしろ金属の棒に、雷を落とす装置だ。
 雷を避雷針に誘導することで、周囲の人間が被害を免れる。

 私たちの身代わりになって、雷に打たれてくれる。犠牲を買って出る。とっても奇特な存在なのだ。
 まるで人類の罪を背負って、十字架に懸けられたというイエス・キリストのように。

 そのことを知らずに、「雷を避けるんだ」とか言って。
 間違って頭の上に避雷針をおっ立ててしまうと、あなた自身がイエス・キリストになってしまうので、注意されたい(笑)

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<ブサイクは歳を取った方がいい>

 誰でも歳を取るのは、いやである。

  容色の衰えは隠しようもない。女性に限った話ではないから、 顔貌の衰え、と言った方がいいかもしれない。
 皮膚はたるみ、しわが目立つ。つやを失い、しみだらけになる。加えて白髪か、禿頭である。
 要するに「老顔」と称される、すべての特徴が現れる。

 だがそんな変化を、むしろ心中どこか、歓迎する者もいる。
 ブサイクと呼ばれる種類の人間である。
 
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 彼らにとって老いとは、平等をもたらす祝福なのだ。
 だって今では、自分だけではない。かつては美人とほめそやされた女たちも、等しくオバサンと蔑まれ、バアサンと哀れまれる。
 みんなが同じようにみじめな集団の中では、不思議と自分のみじめさは、痛感されないものなのだ。

 昔美人だった女には、2つのタイプがあると思う。
 一つはもちろん、老いてなお美しさの面影を残す。あくまで歳の割にはだが、まあ美人なわけだ。
 だがその逆に、かつての美人が裏目に出るやつもいる。
 もともと無理やり作った美形が、年齢にそぐわなくなったのか。とにかくどことなく、滑稽に見えてしまう。

 そんなタイプの連中が相手なら、むしろブサイクな自分のほうが、少しはましであるように思えてくる。

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 加えて今の自分のブサイクは、すべて「歳のせい」と言い逃れることができる。
 周囲からもそう思って、同情してもらえる。

 それはもうかつてのように、持って生まれた資質やら、ましてや努力不足のせいではない。  
 だとしたらもう、コンプレックスに悩むことも、自責の念に苛まれることもない。
 こうしてすべての懊悩から、免れることができるのだ。

 だとしたら確かに、ブサイクたちにとって老年とは、何という至福の年代だろう!――

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