<乙武さんに弟子入りしたい>
聞くところによると、乙武洋匡さんは周囲の人間に、「オレは性豪なんだ」と吹聴しているらしい。どんな女でも夢中にさせてみせると。
2016年に発覚した「五股不倫騒動」(注)を考えると、それもあながち嘘や冗談ではないらしい。
だがしかし五体不満足(注)なあの体で、一体どうやって?――というのが、誰でも抱く正直な感想だろう。

*
しかし、こんな学説もある。
ある一つの身体機能を失った人間は、それを埋め合わせるように、別の身体機能が尋常ならざる発達を遂げる。
たとえば両手の欠けた障害者は、両足を使って日常の作業を行う。紐を結んだりもできるんだそうだ。
だとしたら四肢のない乙武さんの場合は、ひょっとしたら性器がその代替をする。きっと紐も結べるのだ。
紐が結べるくらいだから、女を泣かせるくらい朝飯前だ。
きっと「中」で絶妙な動きをする。膣の粘膜を、結んでしまうのかもしれない(笑)
*
その奥義たるや、端倪すべからざるものがある。
自分もそっちの方面では、これまでずっと達人を自認してきた。だがもちろん、両手両足を縛られたら、文字通り手も足も出ない。
だとしたら乙武さんのそれは、とうてい自分の比ではない。
五体満足な自分も、ぜひともあのお方に弟子入りをして。
そのカーマ・スートラ(注)の秘法を、思う存分伝授していただきたいものである。――
**
<避雷針になってしまったイエス・キリスト>
無学な人間は、ときどき勘違いをする。
「鷹狩」と言っても、鷹を狩るわけじゃあない。鷹を使って獲物を狩る。
同様に「避雷針」と言っても、雷が落ちないわけじゃない。
むしろ金属の棒に、雷を落とす装置だ。
雷を避雷針に誘導することで、周囲の人間が被害を免れる。
私たちの身代わりになって、雷に打たれてくれる。犠牲を買って出る。とっても奇特な存在なのだ。
まるで人類の罪を背負って、十字架に懸けられたというイエス・キリストのように。
そのことを知らずに、「雷を避けるんだ」とか言って。
間違って頭の上に避雷針をおっ立ててしまうと、あなた自身がイエス・キリストになってしまうので、注意されたい(笑)
**
<ブサイクは歳を取った方がいい>
誰でも歳を取るのは、いやである。
容色の衰えは隠しようもない。女性に限った話ではないから、 顔貌の衰え、と言った方がいいかもしれない。
皮膚はたるみ、しわが目立つ。つやを失い、しみだらけになる。加えて白髪か、禿頭である。
要するに「老顔」と称される、すべての特徴が現れる。
だがそんな変化を、むしろ心中どこか、歓迎する者もいる。
ブサイクと呼ばれる種類の人間である。
*
彼らにとって老いとは、平等をもたらす祝福なのだ。
だって今では、自分だけではない。かつては美人とほめそやされた女たちも、等しくオバサンと蔑まれ、バアサンと哀れまれる。
みんなが同じようにみじめな集団の中では、不思議と自分のみじめさは、痛感されないものなのだ。
昔美人だった女には、2つのタイプがあると思う。
一つはもちろん、老いてなお美しさの面影を残す。あくまで歳の割にはだが、まあ美人なわけだ。
だがその逆に、かつての美人が裏目に出るやつもいる。
もともと無理やり作った美形が、年齢にそぐわなくなったのか。とにかくどことなく、滑稽に見えてしまう。
そんなタイプの連中が相手なら、むしろブサイクな自分のほうが、少しはましであるように思えてくる。
*
加えて今の自分のブサイクは、すべて「歳のせい」と言い逃れることができる。
周囲からもそう思って、同情してもらえる。
それはもうかつてのように、持って生まれた資質やら、ましてや努力不足のせいではない。
だとしたらもう、コンプレックスに悩むことも、自責の念に苛まれることもない。
こうしてすべての懊悩から、免れることができるのだ。
だとしたら確かに、ブサイクたちにとって老年とは、何という至福の年代だろう!――
コメント