天才であった。西川きよしとのコンビで、お笑いの頂点をきわめた。(注)
だが破滅型の天才だった。酒と喧嘩に明け暮れた。
警察のお世話になった。
幾度の謹慎処分を経て、ついに吉本興業を追放された。
心身ともにズタボロになった。51歳の若さにして、すでに老爺のような姿になって死去した。
診断は「アルコール性肝硬変」だったが、病気ではない。文字通り「破滅」したのである。
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会社(吉本)もマスコミも、やすしの無軌道を非難した。
だがファンは、やんやと喝采した。
それはそうだろう。
しゃちほこばった常識人のお笑いなんて、面白くもなんともない。
それに比べて、子供のような笑顔を浮かべるこのやんちゃな男は、何て愛すべき存在だったろう。
無茶をすればするほど、不祥事を起こせば起こすほど、「よっ、やっさん(やすしの愛称)」「さすがやっさん、それでこそ関西人や」とおだてられた。
それでは歯止めがかかるわけはない。むしろやすしも、図に乗ってしまった。だから無茶を繰り返したわけだ。
すっかり乗せられて「やんちゃな横山やすし」という虚像を生きてしまった。
だとしたら、ファンもずいぶん罪なことだ。
「忘れてないよ」「君はオレたちの心の中に生き続けている」なんてポエムなことを言ったって、要するにいいように弄んで、ポイ捨てしたわけだ。
消費されてしまった、哀れなコンテンツなんだよ、横山やすしは。
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もちろん、西川きよしとの軋轢もある。
1986年に西川きよしが参院議員に当選し、実質的にコンビ活動ができなくなった。
それが歯車を狂わせた。転落の端緒になった、というものである。
きよしの選択を裏切りと感じたやすしは、ますます酒量が増えて荒れていった。――だが当然のことながら、これは結果論であって、西川きよしには何の罪もない。
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本当に横山やすしを殺したのは、それではない。
やすしの心の闇を深めて死に追いやったもの――それはウィキペディアで「謎の暴行事件」とされているものである。
1992年8月、「犯人も経緯もわからない」が、半殺しにされた状態の横山やすしが摂津医誠会病院に緊急搬送された。
その後退院はしたが、回復したのは身体だけだった。
この件をきっかけに、一日中酒びたりになった横山は、一年後に見るも無残な廃人となって死亡した。
つまりは事件が横山を殺したのだ。
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「謎の暴行事件」――だがしかし本当は、真相は少しも「謎」ではない。
犯人も経緯も、関係者なら誰でも知っている。ただ黙して語らないだけだ。
やったのは実の〇〇の、〇村一八である。
一八と言えば、14歳の芸能界デビュー以来、一気に若手スター俳優の道を駆け上がった。
だが19歳の1988年、タクシー運転手に対する傷害事件を起こした。一方的に暴行を加え続け、相手を脳挫傷にまで至らしめる悪質なものだ。
一八は少年院送致となり、出所後も芸能活動は自粛を強いられていた。
一八はこの件も含めて、父親のやすしを深く恨んでいた。
自分がこんなしょうもない人間になったのは、すべて父親のせいだと。
それはそうだろう。
そもそも「一八」という名前自体が、やすしの「人生一か八かや!」というデタラメな哲学に由来している。
その後の「教育」も、輪を掛けてハチャメチャなものであった。たとえば、
「喧嘩は先手必勝や! 相手が手を出す前に、こちらから行ってボコボコにしてしまえ!」
というのがその教えだった。
自分がこんな粗暴で短気な人間に育ったのは、遺伝にせよ育ちにせよ、要するにすべてはこの父親のせいだ――と一八が分析したとしても、無理からぬことであった。
あの日そんな一八の前に、例によってぐてんぐてんに酔っぱらったやすしが姿を現した。
その姿を見た瞬間、頭に血が上った。
お前はまだ、そんなことをやっているのか。周囲にさんざん迷惑を掛け、オレの人生まで台無しにしておきながら、――と怒りに火がついて、半殺しの暴行に及んだわけだ。
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もちろんやすしは、息子の名を挙げはしなかった。
すべてを通り魔の仕業と偽って、事件に蓋をした。
ただ子供をかばった、というだけではない。実の息子に半殺しにされました、なんてまさか口が裂けても言えないからね。
この事件を境に、やすしの転落に拍車がかかった。きっと心が折れたのであろう。
加速度的に地獄に堕ちていった。――そして廃人となり、死に至った。
だとしたら横山やすしを殺したのは、実の〇〇の〇村一八だったと言える。
だがもし一八の言い分通り、息子をそんな怪物に育て上げたのがやすし本人だったとすれば?
――やすしを殺したのは他の誰でもない。やすし自身であり、結局は自ら招いた「破滅」だったのである。……
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