統計というものは、ときに人をたばかる道具となる。
そこでおなじみの「平均値」なる概念も、付き合い方を間違えると、とんでもない錯覚を生んでしまう。
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たとえば、国民が五人しかいない国があったとする。
そのうち四人は、年収が200万円の困窮者だ。最後の一人は逆に、年に4200万円の大金を稼いでいる。
さて、この国の国民の平均年収は――計算すれば、もちろん1000万円ということになる。
たった一人の金持ちの存在で、数字がとんでもなく跳ね上がってしまった。
内情を知らない外国の人間が、もしこの統計だけを眺めたら、なんてうらやましい国だろうと思う。
だがもちろん、われわれの肌感覚は違う。それはそうだろう。
何しろ実際は国民の大半が、食うや食わずの貧乏にあえいでいるというのだから。――
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こんなふうに、統計の内訳に――とりわけその分布の偏りに留意しないと、現状を大いに誤認することになる。
たとえば先日の投稿で、自分はこう書いた。
私たちの給与所得から、税金と社会保険料が差っ引かれる。両者を合わせた徴収の割合を「国民負担率」と呼ぶ。
その数字が五割に近づきつつある(2025年度で46.2%)。つまりは給料の半分は国に持っていかれる。
これじゃあ江戸時代の百姓と同じ、五公五民じゃあないか、と皮肉られているわけだ。
だがしかし、46.2%というのは、これもまたあくまで平均値である。あなたの給与明細のどこをどう眺めても、そんな数字は出てこないはずだ。
からくりは「累進課税」だ。税金というものは、全員が一律に徴収されるわけではない。
所得が高い人間ほど高い税率が課せられる、累進のシステムが採用されている。
結果として、国民負担率も貧乏人は低く出る。高額所得者ほど高くなる仕組みなのだ。――
自分の試算では、年収が500万だと負担率は20%程度(世帯構成によって上下あり)。つまりは二公八民である。
年収1000万で30%(三公七民)だから、いずれも五公五民には遠く及ばない。
一方、年収が一億というような超富裕層は、逆に八公二民となる。彼らのとんでもない数字が統計に偏りを生み、平均値が跳ね上がっているだけなのだ。
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ちょうど平均値の五公五民になるのは、一体どのくらいの年収だろう?
おそらくは4000万あたりである。
「オレは給料の半分を、国に持っていかれる。けしからん」と怒り狂う連中は、それだけの所得がある。
当然のことながら、上級国民である。米の値段が5キロ5000円だろうと、痛くもかゆくもない。
ただせっかく荒稼ぎした金が、半減するのが口惜しい。高級グルメに舌打ちはできても、豪華客船で世界一周できるレベルではない。それが物足りないので、税金減らせとワメいているわけだ。
ただ、そんな実態を知られては、SNSでとても賛同は得られない。そこでヤツらは、下級国民の仮面をかぶる。
「物価高で困窮している国民が、五公五民で苦しんでいる」と、統計的にありえもしない被害者モデルをでっちあげて、減税を要求する。
そのようにして無知な大衆を煽動し。なんとか自分たちの懐を肥やそうと、ひそかに画策しているのだ。
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その口車に乗せられて、シュプレヒコールなどを上げてはならない。
本当に要求すべきなのは、「富裕層への増税と低所得者への給付」である。どうしても減税がお望みなら、「富裕層への増税と低所得者への減税」でもいい。
前段を無視した、ただ一括の「減税」では国庫がもたない。
国の社会政策(前々回参照)はかぎりなく縮小していく。
そのとき泣きを見るのは、知らずのうちに社会保障に頼り切った、オレたち中・下級層だ。
高笑いするのは、まさにその福祉の原資を税金でまかなう、アイツら上流国民だけなのだ。――
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