VR(仮想現実)に思う ――タイムマシンが夢物語ではない理由

 私たちの世界は物質でできている。
 だがもしそうだとしたら、あの「精神」と呼ばれるものの正体は、一体何なんだろう。
 それもまた物資世界の化学的・電気的反応が見せている、幻のようなものにすぎないのだろうか?

 確かに理屈はそうだ。だが自分の感覚は、否を叫ぶ。
 どうしても承服できない。何だか違うような気がしてならない。
 私たちの精神は、物質世界とは別個の何かであり、それをただ外から眺めている。……

 もちろん物質から離れては、それは成立しない。肉体が死んだ瞬間に、精神もまた電灯が切れるように消えてしまう。
 だかしかし、そうして物質世界の牢獄の中にありながら、それにもかかわらず・・・・・・・・・それはどこか自由で、自律的な存在なのにちがいない。――

     *

 最近ではVRというものがある。
 特殊なゴーグルを身に着けることによって、あまりにもリアルな仮想の現実が、私たちの目の前に映し出される。

 もちろん私たちは、それが幻にすぎないことを知っている。
 だがこれからもっとテクノロジーが進歩して、私たちが目の前の映像から、触覚や匂いまでをも感知する仕掛けができたとしたら。
 あるいは私たちの意志による一挙手一投足が、映像に確かな作用を、及ぼすようになったとしたら。
 それは本当の「現実」と、もはや見分けはつかない。一体どこが、どう違うというのだろう。

 そのとき私たちは、いぶかるだろう。私たちが堅牢と信じて生きてきた物質世界――それはどこが「堅牢」なのか。そもそも「物質」とは、一体何なのか。
 それは「虚」や「幻」というものと、何が違うのか。……

     *

 かつて自分は、タイムマシンについて書いたことがある。

 たとえば30年前。私たちは若く、まだ誰も亡くしてはいなかったあのころ。
 彼ら・・を映した光は――彼らが放った光は宇宙を旅して進み、今のこの地球から30光年の彼方にある。
 あのころの私たちは、確かに今そこにいるのだ。

 そしてもし科学者たちが言うように、宇宙にワームホールという抜け道のようなものがあって、光を追い越すことが可能だとしたら。
 私たちは今すぐ先回りしてそこ・・に渡り、ふたたび愛する者たちと、まみえることもかなうにちがいない。 ……

 もちろん人は言うであろう。
 光となって伝わるものは、ただこの世界にまつわる、情報にすぎない。
 たとえワームホールを抜けて――つまりはタイムマシンに乗って、私たちがそこにたどり着いたとしても。目の前に見えるのはもはや何の実体も伴わぬ幻であり、影絵でしかないと。

 だがしかし、 だとしたら虚と実の区別とは、一体何なのか。
 もしあなたがそれほどまでに信じている「現実」なるものが――物質世界なるものが、そもそも私たちの「こころ(精神)」が外側から眺めている、映像にすぎないとしたら。
 タイムマシンの窓から覗いた景色もまた「本物」であると、言い切ることはできないのだろうか?――

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