「うさぎ跳び」で栄光を目指したあの時代

 かつては「うさぎ跳び」なるトレーニングが存在した。 


 あらゆるスポーツ競技に重要な、下半身の鍛錬に最適である。くわえて心肺機能とスタミナも増強される。何よりも歯をくいしばって耐える根性が身に付く、というのでしきりに称揚された。
 メニューとして取り入れた、というレベルではない。「練習」と言えば一つ覚えのうさぎ跳びであった。 
 試合でミスをしたあと「罰としてうさぎ跳びで校庭3周!」と、監督や教師の怒号が飛び交うのも日常だった。

 それぞれの競技で頂点を目指す体育会の若者たちは、この苦行によって栄光を掴める、と本気で信じた。
 一世を風靡したスポ―ツ根性アニメ『巨人の星』も、まるまる一話を割いてこのテーマを語っていた。

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 ところが1980年代になると、スポーツ科学なるものが登場した。そこでうさぎ跳びの無益が、学問的に証明されてしまった。
 うさぎ跳びの動作はあまりにも特殊なので、そこで鍛えられる筋肉はいかなる競技にも応用されない。トレーニングとして役立たないばかりか、いたずらに故障のリスクを高めると。 

 「うさぎ跳びで天下を取る」は「水を飲むと持久力が落ちる」と同じだ。蒙昧な前時代の迷信にすぎない。――というので、あのお馴染みのピョンピョンの光景は、いつしかわが日本の運動場からすっかりと駆逐されてしまった。

 それで呆然としたのが、かつてのスポーツ少年たちだ。
 今では60代、70代に差し掛かった彼らは、もちろん科学の知見を受け入れる。
 だがだとしたら、うさぎ跳びに青春をささげた、あのオレたちの汗と涙は一体何だったんだ?
 いまさらそんなことを急に言われてもなあ、というわけだ。

 ヒトは「苦痛」に耐えることはできても「無意味」に耐えることはできない。
 ちょうど国のために命をささげた特攻隊の生き残りが、取り返しのつかない時間を悔いるように。
 このうさぎ跳びの生き残りたちも、胸にぽっかりと空いたうつろを、永遠に埋めることはかなわない。――

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 そんな彼らのために、一つ提案がある。
 なるほど、うさぎ跳びの動作はあまりにも特殊だ。そこで鍛えられる筋肉は、いかなる競技にも応用されない。それは事実である
 だがそれはあくまで、基礎トレーニングとして見た場合のことだ。
 ここでは一つ視点を変えて、いっそのこと、うさぎ跳び自体を一つの競技にしてしまったらどうか。

 「うさぎ跳び男子800メートル」「うさぎ跳び混合400メートルリレー」のような種目を、オリンピックで採用するのだ。
 現在の五輪の種目だって「動作が特殊で他競技と共通性が皆無」なものはいくらもある。
 ボルダリングをいくら頑張ったって、トラックの競技の成績向上にはクソの役にも立たないはずだ。だとしたらうさぎ跳びだって、採用して何の問題があろう?

 そんな復権の時代が来れば、元アスリートのジイさんたちの心も晴れる。
 もはや実際に参加はかなわなくても、新競技の礎を築いた先駆者として、胸を張って冥途の旅路につくことができそうなものだ(笑)

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