イスラエルがガザに空爆をした。けしからん、と思う。戦禍の悲劇に胸を痛める。
だが、ちょっと待てよ。あなたは実際に現地に行って、自分自身の目でそれを見たのか? もしそうでないのなら、どうしてニュースが真実であると、言い切ることができるのか?
そんなことは本当は、何一つ起こってはいない。新聞とテレビがでっち上げた、作り話にすぎないのかもしれない。
なるほど繰り返し流される映像は、とても真に迫って見える。だがそれも戦争映画か何かのシーンの、借り物であるのかもわからない。
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一体何が真実であり、何が真実でないのか。――私たちが本当に知ることができるのは、身の回りのごく限られた事柄だけだ。
昨日自分が何をしたか。家族はどうであったか。学校で何が起こったか。そんな実体験に基づく知識なら、もはや疑う余地はない。
だがそれ以外のすべてのものについて、それはそうではない。
私たちはただ、それを「事実」であると思い込んでいるだけだ。何一つ、身をもって確かめたわけではないのだ。
NHKが報じているのなら間違いはないだろう。朝日新聞の言うことなら信じよう。――そんないわば、情報源に対する根拠のない信頼が、かろうじて真実味をかもしだしている。
ただそれだけのことで、すべてはただの伝聞であることに変わりはない。
だとしたらこの世の中に、絶対的な真理なんて存在しない。
十中八九間違いないと思えたとしても、残りの一割はあやしさが残る。
それはあくまで不確かで、おぼつかないもの。必ずどこかに、ほころびがあると疑ってかからなければならない。
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そしてもし「真実」がそうだとしたら、それと対置された「嘘」もまた同じだった。
この世に絶対的な嘘など、本当は存在しない。――
直近の事件で言えば、海の向こうの大統領選ではドナルド・トランプが、兵庫では斎藤元彦が勝利を収めた。
ともに重大犯罪人として、マスメディアが葬ったはずの人物だったから、その衝撃はいかばかりだったろう。
どんでん返しの原因は、こう分析された。
新聞もテレビも見ない多くの選挙民が、ネットにばらまかれた嘘を信じた。
「カマラ・リス はハリケーン対策費までつぎ込んで、不法移民をアメリカに招待している」「既得権益に挑戦する斎藤元彦を厄介払いするために、そのパワハラ疑惑が捏造された」
そんな噂には、もちろん検証も取材も、データの裏付けもない。愚昧な大衆が、ただの稚拙なホラ話にだまされたのだ、と良識派は嘆く。
だがしかし、それは本当に「嘘」なのか? 朝日新聞やCNNの報じることが真実で、トランプ支持者の言い分は妄言だと、本当に言い切ることができるのか。
ファクト・チェックと言ったって、あなた自身の手でできることではない。専門家を自称する人間のお墨付きを、それほど安易に信じてもいいものなのか?
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実はこの自分また、良識派の一員である。朝日新聞とCNNの報道を信じ、トランプ支持者は愚かだと蔑む。
だがそれは、あくまでも自分の選択だった。旧来のメディアの伝える物語を、ただ自分の信じる真実として、選び取ったというだけにすぎない。
それはちょうど、そうでない多くの大衆が、そうでない物語を選び取ったのと同じだった。両者の間には、実は何の優劣もない。その本質は、いささかも違うものではありえないのだ。
すべてがあまりにも、相対化されてしまった今のこの世界に、もはや絶対的な真理など見つけられない。誰ももう、見つけようとさえしない。
この「ポスト真実の時代」にあって、私たちはただ自分にとって、もっとも心地よい物語を選び取る。そしてそれを、それぞれの真実として受け入れて生きるしかない。
そんな物語のことを、社会学者たちは” alternative fact” と呼んだ。
真実ではないが、あるいは真実とは言い切れないが、真実の代わりの役割をはたしてくれるかもしれないもの。
その正体については、すでに過去投稿(真理なき時代に「事実もどき」をついばみながら)でも考察したので参考にしてほしい。――
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