自分の実家の家族は、男3人とも「先生」と呼ばれていた。
自分はかつて教師をしていたので、もちろんそのまんま「先生」である。
兄貴は医者であった。これもまた先生扱いをされる。
意外なのは父親だ。これはクイズになる。
父親は戦前の尋常小学校卒だから、学歴はゼロである。
田中角栄のように、出世したわけでもない。役職も何もついていない。私企業なら平社員と呼ばれる立場で、給料もその程度である。
それなのに「先生」と持ち上げられ、そのうえ身分上は国家公務員なのだ(笑)
さてこの鵺のような不思議な人物は、一体何者でしょう?
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答えは何と、「看守」である。父親は某刑務所の、刑務官をしていた。
もちろん看守が「先生」なのは、きわめて限定的な場面だけだ。
囚人たちの前でだけ、囚人たちによってのみ、そう呼ばれて尊敬されているのだ(笑)
まあ彼らに規律を守らせるためには、そうして上下関係を確認させることが、重要だったということなのだろう。
父親の勤めた刑務所は、常習犯を専門に収容していた。
常習犯の代表は、もちろんヤクザである。出たり入ったりを繰り返し、回数が増えるほどその道での格が上がっていくのだ。
つまりは父親はヤクザたちから、日々「先生」と呼ばれて、奉られていたわけだ。
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もちろんそれは本来なら、刑務所の塀の中だけの序列だ。
だがいつしか習い性となると、人はどうしても外の世界にまで、同じ慣習を持ち出してしまう。
ウチの父親ももまた、そうであった。
あるとき父親が、地元の街を歩いていて、ヤクザにからまれたことがあった。
「オレたちは○○組の者だ」
相手は代紋を持ち出して、イキがって威嚇してくる。
だがそんなことで、父親はひるむはずもない。かえって
「ヤクザが怖くて看守が勤まるか。ふざけんな!」
と一喝してやった。
そのあまりの剣幕に、二人組だったヤクザの方が気圧されて、すごすごと退散してしまった。
考えてみれば塀の外まで、ヤクザが看守を恐れなければならない理由はない。
だが人間というものは、相手の本当の力にビビるのではない。虚勢にビビるのだ。強気に出た方が勝ちなのだ。
父親は平生の勘違いのために、すっかり上手に出ていた。だとしたら役割上、あちらはもはや下手に回るしかなかったわけだ(笑)
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父親がヤクザを恐れないのには、もう一つ理由があった。
当時の暴力団などは、その由緒はともかく、たいていは戦後の混乱期に勢力を扶植したものだった。
父親は昭和4年生まれだった。つまりはヤクザの親分や幹部連中は、ほぼ同世代の人間だったのだ。
前述の〇〇組とは違うが、実際父親の小学校の時の悪友は、某暴力団の組長をしていた。
だとしたらヤクザに対して、後の世代が抱くような恐怖心などあるはずもない。
親分とかなんとか偉そうに言ったって、「なんだ、近所の○○ちゃんじゃあねえか」という感覚が、きっとどこかにあった。
ましてやその子分どもをや、というわけだ。――
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<追記>
今年2月、法務省から全国の刑務所に通達があった。
この春から、受刑者たちの扱いを改めるべし、と。(注)
従来の囚人の呼び捨てをやめて、すべて「さん」付けとする。
あわせて職員の側の「○○先生」も廃止し、こちらも「○○さん」と言い合うというのだ。
人権意識だかコンプライアンスだか知らないが、隔世の感がありすぎる。
このぶんだと、そのうち連中を「お客様」と呼び始めるにちがいない。
「お客様方、ようこそまたお越しくださいました」みたいに(笑)
犯罪者なんだから、もっとちゃんと「思い知らせてやる」方が、いいんじゃないのかねえ(笑)――
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