<ミス・コンテスト> のこのことミスコンに出かけていく女たち(2)

(話は前回から続く)

「ミス・ユニバース」とか、ホント笑ってしまう。――

     *

 元を正せばアメリカのエロおやじが、世界中の女を品定めする、お下劣な大会だった。
 なにしろかつては、かのドナルド・トランプが機構の代表をつとめていたくらいだから、お里が知れる。
 枕営業だって、たぶんあっただろう(笑)

 もちろん、時代は変わる。
 昔のまんまの姿では、到底生き残ることはできない。
 ミス・ユニバースも、今では大きく変容して、すっかり行儀がよくなった。
 だけどそんなものは、あくまで看板の付け替えみたいなもので、持って生まれた本質は、そう簡単に消えてなくなるものではない。

 男目線の選抜だ、という批判を避けるために、今では審査員の7割は女性になったそうだ。
 昨今ではトランスジェンダーも、出場可能になった。
 それでも相変わらず、水着審査をやめるつもりはない。

 選考基準は今や、単なる外見の美しさだけではない。ルッキズムではない。「知性・感性・人間性・誠実さ・自信などの内面も重視される」んだそうだ。
 でもそれもあくまで美人の中から、それなりに頭のいいやつを選ぶのであって、その逆の順番ではない。
 美貌が前提の、必要条件であることは変わらない。

 ミスに選ばれると、その一年間、まるで親善大使のように世界各国を回る。チャリティーなども催して、さまざまな社会貢献活動に励むんだそうだ。
 ずいぶんと、取ってつけたような話じゃないか。
 ボランティアするなら、別に美人じゃなくてもいいわけだから。すべては自己韜晦のためだ。 
 所詮はキレイどころを集めて興じる、壮大なお座敷遊びにすぎない。そんな本質を何とか覆い隠して、批判の矛先を避けるために、必死になって社会的意義を装っているわけだ。

 時代の変化に合わせた、と言えば聞こえがいいが、すべては組織の生き残りのための戦略であるにすぎない。

     *

 人間社会の組織もまた、生物の種と変わらない。
 生物の種は、創造されたその瞬間から、神の手を離れる。それ自体の生命原理によって、――自律の論理によって、展開することを始める。
 もはや何のためでもない。種の存続と繁栄。それだけが自己目的と化し、いわば生きるために生きることを始める。

 ちょうどそれと同じことが、私たちの社会の機構にも当てはまる。
 ある組織が最初に作られたときには、きっと何らかの、もっともらしい大義があった。
 だが設立されたその瞬間に、それはまるで一つの生命体のように、ただ存続と肥大化を図り始める。
 これもまた、何のためでもない。組織がそこにあり続けること自体が、その存在の目的であるような、そんな撞着の構造が生まれるのだ。

 たとえばIOC(国際オリンピック委員会)だ。その創立には、スポーツを通じた世界平和という、よにも美しき大義があった。
 もちろん今でも、建前は変わらない。だがその実質は、ご存じの通り、ただの巨大ビジネスだ。
 組織の自己防衛と、はてしない拡大再生産だけにかまけている。
 それもすべて、かの幹部たちが思う存分甘い汁をすって、いい思いをするために。―― 
 
「美の祭典(オリンピック)」を自称する、ミス・ユニバースの方も、しかりである。
 創設の元来の目的は、女の品定めである(笑)
 だがそんなことをやっていては、時代に生き残れない。
 社会貢献やら、多様性やら、理想の女性像の追及やら。ごもっともなお題目を唱えて、ビジネスの増殖に励む。
 大会はまるで、ノーベル賞授与式のような、おごそかな雰囲気さえまとう(笑)
 かのうるわしき創設の大義は、ただその水着審査に、面影を残すだけだ。
 こればっかりは、いかに顰蹙を買っても、なかなかやめられない。
 なにしろ大会は全世界でテレビ中継され、その視聴率は水着姿にかかっている。ここでもビジネスの、そろばん勘定が最優先なのである。

     *

 そんなろくでもないイベントの、日本代表選考会(ミス・ユニバース・ジャパン)に、頭の悪そうなお嬢さんたちの応募が殺到する。

 日本代表になっても、本大会ではたいてい討ち死になのだが、まれに優勝者も出る。
 われこそはミス・ユニバースと、いい気になる。
 世界一の美女になったと勘違いして、鼻高々である。

 誰のことなのか、名前を挙げるのは遠慮しておこう。
 もっとも優勝者は、過去に二人しかいない。(注)
 そのうちの1人は、ずいぶん遠い昔の方なので、残りは言わずと知れてしまうのだが。――

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