冬季五輪――その忌まわしき本質を喝破する

 IOC(国際オリンピック委員会)は、建前上はあくまで非営利団体だ。だがその実態ときたら、まるで五輪貴族の棲む魔窟である。

 役員たちは五つ星ホテルを定宿として、贅沢三昧にふける。関連企業の社長に収まって、何億もの年収を得る。誘致にからむ賄賂や、高額接待の噂も絶えない。

 利権に群がる彼らが運営する巨大ビジネス――それがオリンピックの本質なのだ。

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 五輪マネーの源泉は、スポンサー各社の払う協賛金とテレビ局の放映権料だ。両者を合わせると、一大会で5000億円をはるかに超える。

 その金額を維持すること。できればさらに拡大していくこと。それが五輪貴族たちの、唯一にして至上の命題となる。
 そのための、もっとも手っ取り早い手段は何か? もちろん競技の数を増やすことだ。
 競技が増えれば、テレビの番組の数も増える。のべの視聴者数が増えるわけだから、放映権料の吊り上げにも応じやすくなる、というわけだ。

 だから毎年毎年、聞いたこともないような新競技が次々採用されていく。
 同じ競技の中でも、体重別やら距離別やらで、無限の細分化が行われる。
 それもみんな、番組の数を稼ぐためだ。

 夏季五輪だけでは飽き足らず、冬季五輪も実施する。いつのまにか、パラリンピックまで呑み込んでいく。そんな現象も全部、同じ流れで理解することができる。

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 さて、数が増えれば質が落ちる。それが世の中の道理である。
 五輪の場合、これが「母集団」の問題として顕著に現れる。

 つまりはこういうことだ。
 例えば「陸上100メートル」なら。その競技の母集団は、世界の人口のほぼすべてだ。私たちのほとんどが、100メートルの駆けっこを経験しているからだ。
 だとしたらその中での金メダリストを、「人類で一番」と標榜したとしても、別に差し支えはないだろう。

 だがしかし、例えばカーリングの競技人口は、どのくらいなのか?
 川や湖が凍結するような、寒冷地の子供たちとか。あるいはスケートリンクに通いつめる、経済力のある富裕層とか。それ以外には、このスポーツ競技に親しむことはできないはずである。
 そんな限られた母集団の中で、たとえ金メダルを取ったとしても、それがどれほどの価値があるのか。
 冬季五輪ですらそのありさまだから、パラリンピックは至っては言うにや及ぶだ。

 母集団が小さくなればなるほど、競技の質は落ちる。
 競技人口が極小であれば、勝利の意味も栄光も、草野球大会の優勝と変わらなくなる。
 それでもまるで、すべての金メダルが同等の価値を担うかのように演出しながら、希薄化した番組を量産して売りつける。――それが肥大化した、いまの五輪ビジネスの本質なのだ。

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 オリンピックを見たくなければ、見なければいい。見たいやつが見るのだから、別に問題ないだろう、と言うかもしれない。
 だが必ずしも、そうはならない。

 たとえばこの時期のNHKは、朝から晩まで冬季五輪の中継だ。聞いたことのないような種目の、予選会から一つ覚えで垂れ流しているのだ。
 当然のことながらその結果、本来そこにあるべきだったレギュラー番組は、片っ端から休止に追い込まれる。

 自分のようなインテリにとっては、NHKの教養系番組だけが唯一の娯楽である。
 そのすべてが、誰も見るはずのない予選会のために、次々と駆逐されていく。一体何のために、受信料を払っているのか。まさに不条理以外の何物でもない。

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 誰も見るはずのない――NHKだってそれはわかっている。
 だがあそこは民間放送ではないから、視聴率はどうでもかまわない。怖いのはただ、視聴者からのクレームだけなのだ。

 もし中継を、はしょったとしたらどうなるか?
 「ニッポン・チャチャチャ」(注)の連中から、とたんに抗議が殺到する。
 おまえらは公共放送のくせに、祖国の応援を怠るのか、と殺害予告の電話が鳴りやまない。

 なかんずくこのあいだの選挙で、「サナエ・チャチャチャ」で圧勝した首相がいる。
 あのお方が、ちゃんと日の丸に敬意を払えと、睨みつけて恫喝する。
 その般若の形相が、あまりにおそろしくって。中継をやめたくても、もはややめるわけにはいかない、というわけなのだ(笑)――

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