私たちの世界は物質でできている。
だがもしそうだとしたら、あの「精神」と呼ばれるものの正体は、一体何なんだろう。
それもまた物資世界の化学的・電気的反応が見せている、幻のようなものにすぎないのだろうか?
確かに理屈はそうだ。だが自分の感覚は、否を叫ぶ。
どうしても承服できない。何だか違うような気がしてならない。
私たちの精神は、物質世界とは別個の何かであり、それをただ外から眺めている。……
もちろん物質から離れては、それは成立しない。肉体が死んだ瞬間に、精神もまた電灯が切れるように消えてしまう。
だかしかし、そうして物質世界の牢獄の中にありながら、それにもかかわらずそれはどこか自由で、自律的な存在なのにちがいない。――
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最近ではVRというものがある。
特殊なゴーグルを身に着けることによって、あまりにもリアルな仮想の現実が、私たちの目の前に映し出される。
もちろん私たちは、それが幻にすぎないことを知っている。
だがこれからもっとテクノロジーが進歩して、私たちが目の前の映像から、触覚や匂いまでをも感知する仕掛けができたとしたら。
あるいは私たちの意志による一挙手一投足が、映像に確かな作用を、及ぼすようになったとしたら。
それは本当の「現実」と、もはや見分けはつかない。一体どこが、どう違うというのだろう。
そのとき私たちは、いぶかるだろう。私たちが堅牢と信じて生きてきた物質世界――それはどこが「堅牢」なのか。そもそも「物質」とは、一体何なのか。
それは「虚」や「幻」というものと、何が違うのか。……
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かつて自分は、タイムマシンについて書いたことがある。
たとえば30年前。私たちは若く、まだ誰も亡くしてはいなかったあのころ。
彼らを映した光は――彼らが放った光は宇宙を旅して進み、今のこの地球から30光年の彼方にある。
あのころの私たちは、確かに今そこにいるのだ。そしてもし科学者たちが言うように、宇宙にワームホールという抜け道のようなものがあって、光を追い越すことが可能だとしたら。
私たちは今すぐ先回りしてそこに渡り、ふたたび愛する者たちと、まみえることもかなうにちがいない。 ……
もちろん人は言うであろう。
光となって伝わるものは、ただこの世界にまつわる、情報にすぎない。
たとえワームホールを抜けて――つまりはタイムマシンに乗って、私たちがそこにたどり着いたとしても。目の前に見えるのはもはや何の実体も伴わぬ幻であり、影絵でしかないと。
だがしかし、 だとしたら虚と実の区別とは、一体何なのか。
もしあなたがそれほどまでに信じている「現実」なるものが――物質世界なるものが、そもそも私たちの「こころ(精神)」が外側から眺めている、映像にすぎないとしたら。
タイムマシンの窓から覗いた景色もまた「本物」であると、言い切ることはできないのだろうか?――
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