<泣けば泣くほど叩かれる>
必死の泣き落とし作戦にもかかわらず、丸川珠代が夫婦そろって落選したようだ。
「お助けください」の涙の哀訴も、故安倍氏夫人まで引っ張り出しての浪花節も、功を奏さなかった。(注)
思えば彼女は、戦法を間違えたのだ。
泣けば同情してもらえる、なんていう甘ちゃんはもはや過去の遺物だ。
この「叩き」の時代には、弱みを見せたらもう終わりだ。
サバンナの肉食獣は、ケガを負って弱っている獲物を真っ先に狙う。それと同じことだ。
窮地に追い込まれた上級国民を見つけたら、ここぞとばかりに一斉に襲い掛かる。初めから死にかかっているヤツを血祭りにする方が、はるかにコスパがいいからね(笑)
丸川の泣きべそ動画は、ひたすら面白おかしく、ネタとして消費された。首狩り族の戦利品のように、 勝ち誇って拡散された。
常々「叩き」を批判している自分でさえ、その泣きっ面を見ながら大笑いしていたのだから、始末に負えない(笑)――
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<洋の東西、文化の違い――視線はどこに>
アメリカでは「ちゃんと人の目を見て話せ」と教える。
それが誠実さの証しとなる。
逆に視線を合わせずにそらしてしまうのは、何かやましいことがあるからだ。そう解釈されるわけだ。
それもずいぶん酷な話だ。
中には小心者で、相手の顔が見られないやつだっているはずだ。――だがそれはそれで、軟弱だ、ということになる。
マッチョ(注)であることを重んじる、かの国の伝統的な価値観では、かえって落伍者という烙印を押されるわけだ。
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一方に日本を含め、多くのアジアの国では、事態は逆である。
親しくもない相手の顔を、あまりまじまじと覗き込むべきではない。
儒教文化の名残なのか、とりわけ目上の人に対しては、このルールが厳重に守られる。
下っ端の人間は、常に相手の威光に恐れをなして、平伏していなくてはならない。
堂々と視線を合わせることは、対等を主張している。権威に対する挑戦だ、と受け止められるわけだ。
必ずしも、本当に「目上」である必要はない。
街中でヤーさんと視線が合ってしまうと、
「ガンつけてんじゃねえよ」
と因縁をつけられて、ボコボコにされることもかつては珍しくはなかった(笑)
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災難なのは、帰国子女の生徒である。
アメリカに渡った当初は、「ちゃんと人の目を見て話せ」と先生に怒鳴られる。
その教えをずっと守っていると、日本の教室に戻ったとたんに、今度は
「じろじろ人の顔を見てるんじゃないよ」
と、やっぱりドヤシつけられることになる。
東西の文化から、いわばそんな往復ビンタを食らって、ただわけもわからぬまま泣きを見ることになるわけだ。――
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<目のやり場>
女にちょっと説教じみたことを言うと、「マンスプレイニング」(注)ということになる。「上から」目線だ、パワハラだ、と非難される。
「下から」ならいいともかぎらない。スカートの中を覗く痴漢も、下から目線だからだ(笑)
かと言ってまっすぐ見ていると、ガンつけてんじゃねえよ、と因縁をつけられる。
まったく視線の置き場に困ってしまう。
だから女性には、なるたけ近づかないように、かかわらないようにしている(笑)
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