石破新内閣の顔ぶれが発表された。
何だ。見渡す限り、オッサンばかりじゃあないか。
取ってつけたように「元ヤン」と「初耳」が入ってはいても、女性はたった二人だ。
けしからん。差別だ。男女平等の原則はどうなっているんだ。――と、さっそくカミツキガメのおばちゃんたちが噛みついている。
挙げ句の果てにはこの際、閣僚にもクオータ(割り当て)制(注)を導入すべきだ、などと主張する。
だがしかし、――
*
女にも男と同様に、参政権が保証されている。
選挙に立候補もできるし、投票することもできる。
そこでも男女の機会の平等は、確保されているのである。
もし彼らが男女同数を望むなら、女の候補者に女が投票するだけでいい。
何しろ有権者の半数は女性である。彼らのすべてが女性候補者に投票すれば、得票率50%で、候補者全員がトップ当選となる。
国会議員は、女だらけになるずだ。そうなれば当然、閣僚だって女ってことになる。
法律もどんどん通せるから、社会にはびこる女性差別の遺風なんて、たちまち一掃することができる。
すべては女が、女に投票するだけでいい。
クオータ制なんていう八百長は、もとより少しも必要はないのである。
*
あれ? だけどちょっと待てよ。
そんなに簡単な方法があるのに、なんでいまだに「男女同数」が実現していないの?
答えは簡単だ。誰もそんなことは、本気で望んじゃいないからだ。
①「女性がみんなそれを望めば、投票行動を通して、男女同数はたちまち実現する」
➁「ところが現実には、そうなってはいない」
この2つの前提からは、
③「てことは一般の女性たちは、そんなこと本気で望んじゃいない」
という帰結が導かれる。ご存じ「背理法」という論理展開だ。(注)
「差別はけしからん」なんてわめいているのは、声の大きなフェミニストばかりで、世の中のおおかたの女性はそうではない。
もちろん平等を望んではいても、さほど熱心ではない。喫緊の、優先事項とはとらえていない。他の政策の方がずっと大事だから、必ずしも女性候補に投票したりはしないわけだ。
*
声なき多数派の女性たちは、そんなこと本気で望んじゃいない。――
もしもあなたが男女同数を望むなら。男に噛みつくより先に、そんな無数の彼女たちを啓蒙することだ。
もっとも「啓蒙」というのは、上から目線だ。あなたが正しくて、あちらが間違っていることを前提としている。
だがひょっとしたら、間違っているのはあなたの方かもしれない。少なくともあなたは、すべての女性の代表ではない。
そのことに少しも思い至らずに、自分の信じる価値観を普遍の真理と思い込む。
みんなもそれを熱望していると、少なくとも熱望すべきだと決めつける。相対化という作業ができていない。
それこそ典型的な、馬鹿の見本なのである。――
(話は次回に続く)
コメント