科学研究は、先陣争いの世界である。
最初に提唱し、発見した研究者が、名誉も実利も独り占めする。
そこではわずかな遅れも、たちまち命取りになる
自分だけの、独自の研究というのなら、多少のんびり構えていてもかまわない。だがそんな恵まれたケースは、めったに存在しない。
実際には自然科学にも、時代の要請のようなものがある。その流れに乗って、世界中の学者たちが同じ方向を向いて、一斉に研究のスタートを切るのだ。
一番乗りで結果を残した者だけが、脚光を浴びる。特許もノーベル賞も総取りして、かっさらって行ってしまう。二番手以下では、おこぼれにもあずかることはできない。
論文が一日遅れただけで、すべての努力が無意味になる。オレだってあと少しのところまで来たのに、と地団駄踏んでも、世間は同情すらしてくれない。
敢闘賞なんてくれはしない。はなから二番煎じ扱いで、パクリでもないのにパクリのように言われ、嘲笑を浴びるのが落ちなのである。
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そこである巧妙な戦略が生まれる。
ここに一人の研究者がいたとしよう。名前を仮に、小形春子としよう。女性研究者なのである。
小形さんは、ある特殊な細胞の存在を信じていた。詳細は重要ではないから、仮に「PATS細胞」とだけ呼んでおこう。
小形さんはこう考えた。
PATS細胞は必ず作製できる。遅かれ早かれ世界のどこかの研究者が、その存在を突き止める。第一発見者として、賞賛を浴びることになる。
だがだとしたら、いっそのこと、とりあえず自分がそれを見つけたことにして、ちゃっかり論文を出してしまったらどうだろう?――
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もちろん一般の研究なら、そんなフライングは通用しない。
作製した現物を目の前に突き付けなければ、学界は何も認めてくれない。
だが最先端の科学分野では、必ずしもそうではない。
たとえば千回の実験で、一度だけ現れる。そのうえ一瞬だけで消えてしまう――そんな微妙な現象でも、「存在した」のは事実だから「発見」と言えるのだ。
そうしていざ自分の論文が出れば、今度は世界中の研究者が論文の検証に取り掛かる。いわゆる「追試」ってやつだ。
そうすれば人海戦術が功を奏して、PATS細胞は必ず実際に発見される。
もちろん本当は、小形さんは何も見つけていない。その追試の成功者こそが、PATS細胞の真の発見者である。
だが現にもう、小形さんの論文が発表されている以上、それはあくまで「追試の成功」でしかない。小形さんを栄光の座に祀り上げた、いわばアシスタントと役として、その名はただ歴史の片隅に小さく記されて終わるのだ(笑)
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もちろん無名の、若手研究者にすぎない小形さんの論文を、学界がそうやすやすと受けつけるとは思えない。――
だが小形さんは、そこそこ見られる容姿の、色香あふれる女性であった。その巨乳を武器にした、色仕掛けを用いることができた。
おそらくは幾たびかの枕営業を重ねることによって、学界の大御所を数名、論文の共著者とすることに成功したのだ。
世間様はいつでも、この肩書きというものに弱い。これだけ高名な学者たちが、後ろ盾として名を連ねるからには、論文の質に間違いはあるまい。――
そう考えて、かの世界の『ネイチャー』が掲載を容認した。
たちまち小形さんが、「リケジョの星」として、時の人となったのは言うまでもない。
*
もちろん事の顛末は、ご推察の通りだ。
そもそも小形さんの、前提が間違っていた。
PATS細胞は、けっして存在しなかった。だから誰がどう追試をやっても、発見はされなかった。
小形さんは馬脚を現し、一転嘲笑の的となった。一部の不謹慎なブロガーは(注)、彼女を虚言癖と決めつけて、「不思議の巨乳ちゃん」とあだ名して揶揄したものだ(笑)
だがしかし、勘違いしてはならない。
確かに小形さんの作戦は、功を奏さなかった。
だが間違っていたのは、あくまでもその前提となった「PATS細胞の存在」だ。前提が崩れたというだけで、フライング作戦そのものの評価は、また別問題なはずだ。
単なる結果論をもって、小形さんの選択を、愚かしいと笑ってはならない。ひょっとしたらそれは、稀代の名案だったかもしれない。
だってそうだろう。
もし小形さんの前提が正しければ。―― PATS細胞が実際作成できたとしたら、まったく逆の世界が開けてくる。
すべてはいい方に、いい方にと、目論見通りに回る。
論文が『ネイチャー』に載る。それを読んだ世界中の研究者が、追試に励む。
PATS細胞は実際存在するのだから、早晩誰かが実験に成功する。その「誰か」の功績を、小形さんが横取りする。
ほーら私の言ったとおりでしょ、と第一発見者の名誉をまんまと独り占めする。
小形さんの嘘には、誰一人気づかずに。今ごろあの得意の割烹着姿で、ノーベル賞の授賞式に、おめおめと出席していたかもしれないのである(笑)――
(注)検索用ワード:「割烹着」「研究者」
<追記>
のちに自死することになる、論文の共著者の一人が、小形さん宛てに遺書を残した。
そこには、
――「研究」楽しかったです
の一文があった。
この「研究」とは、実際には男女の密か事(みそかごと)を表わす。二人の閨房の合言葉であったことを、慧眼なブロガーはけっして見逃さなかった。……
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