ヤフーニュースにあった。
宝塚の宙組公演で、軍歌『海ゆかば』の独唱シーンがあった。
公演を見たファンから、選曲を疑問視する声が相次ぎ、楽曲の差し替えが決定された。(注)
当然の批判である。
この令和のご時世に、軍歌というのもどうかと思うが、とりわけ『海ゆかば』だけは絶対にやっちゃあいけない。
この曲のいまわしい本質については、かつて別のところに書いたことがある。以下にその全文を引用しておきたい。
**
<嗚呼! ニッポンの「第二の国歌」>
多くの国に「第二の国歌」と呼ばれるものがある。
公式な国歌とは違うが、誰にも広く知られている。かつ高い誇りをもって、愛唱される歌である。
アメリカならたとえば『ゴッド・ブレス・アメリカ』が、イギリスなら『威風堂々』がそれに当たるとされる。
わが国にはそのようなものは見当たらない、と言うかもしれない。
だが少なくとも80年前の日本には、それがあった。
『海行かば(うみゆかば)』という名の軍歌である。
*
その歌詞はこうだ。
……海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ
顧みは せじと言立て……(海ならば、水に浮く屍となる
山ならば、野辺に朽ち果てる屍となる
どのような姿であれ、天皇陛下とともに死にたい
わが身わが命を、惜しみはしないと誓う)
おそろしい歌である。
天皇の長寿と繁栄を願う『君が代』ですら、ときに物議をかもす。
だがこちらは、その比ではない。
「天皇陛下万歳」を叫びながら御国のために死ぬことを、これ以上なくストレートに称えているのだ。
折しも時代は太平洋戦争のさ中。中国の野辺で、南の海で、あまたの若い兵士たちが命を散らしていた。
そんな死屍累々の、戦場の惨を嘆くでもなく。ただ「玉砕」と呼び「散華」と言いなして、大本営発表のBGMに、この歌が流されていたのだ。――
*
作曲は『君が代』が明治13年。『海行かば』に至っては昭和12年だ。
かたや例の国体が形作られ、かたや吹き荒れる国家主義の嵐の中で、戦争に突き進んだ時代である。
だからこそあのような荘重で、勇壮な曲が書かれた。是非はともかく、その成立の背景は合点がいかなくもない。
だがその歌詞の由来については、ご存じだろうか?
明治とか、昭和とかいう話ではない。はるか遠い昔の王朝時代に、その出典がある。
『君が代』は10世紀の『古今和歌集』に、「詠み人知らず」として採録された。その後酒宴などでの、朗詠歌として親しまれた。
――その意味はおわかりだろうか?
要するにみやびな貴族たちの宴会で、上座に座った主人のご機嫌を取るために、みんなで和歌を吟じたのだ。
もちろん主人は、――「君」はしばしば天皇その人であった。天皇に取り入って、少しでもその歓心を買おうという面々が、きそって『君が代』を披露した。
今の時代に置き換えてみれば、わかりやすい。
忘年会で悪乗りして盛り上がりながら、それでも社長にヨイショするのは忘れない。
太鼓持ちと腰ぎんちゃくが、受けを狙っておふざけを始める。
誰かが若者たちのラップをマネして、
――みんなが願う、シャチョーの長生き♬
と歌う。
そんな軽薄な光景と、その本質は何ら変わらなかったのだ。
*
『海行かば』の原詩は万葉集にある。
大伴家持が749年に作った、長歌が元になっている。
成立のいきさつはこのサイトにくわしい。
その当時はまだ、天皇は現人神ではなかった。
また時折の内乱はあっても、外国との大戦争があったわけでもない。
それなのになぜ、かくまでも大仰な殉国の詩が作られたのか。
思えば当時、大友氏は天皇の警護の担う家柄であった。
仮構の戦場を詩にすることで、わが身を投げうってあなたさまを守ります、と命懸けの忠誠を訴えた。
そうして上役である天皇に媚び、一族のさらなる出世と栄達を図ろうとしたわけだ。
もちろん『海行かば』は、酒宴の歌ではなかったろう。
だがここでもその本質は、例の座興の戯れ歌と変わらない。
――シャチョーのためなら、たとえ火の中水の中♬
と必死になっておもねっているのだ。
*
だとしたら『君が代』にせよ『海行かば』にせよ、その大元の歌詞はとても崇高とは言えない。
俗悪で世知辛い、軽薄な酒席の趣向のようなもの。宴会芸に等しいものであった。
明治・昭和の世に、そこにそれらしきメロディを配することで、いかにも荘厳な国歌をでっち上げた。
だがその元歌の由来を思うとき。そしてその奏唱にあおられて、南の海に散った若者たちの姿を重ねるとき。
その無念やいかばかりだったかと、ただただ胸の張り裂ける思いである。――
コメント