「闇バイト」なるものが跋扈して、都会の住民たちを震えあがらせている。
闇バイトの恐ろしいところは、そのあまりに粗暴なやり口だ。
不在を狙って、空き巣を働くのではない。むしろ家人を締め上げて、カネの在りかを吐かせた方が探す手間が省ける、という発想なのだ。
暴行・殺人とエスカレートすれば、当然罪は重くなる、だがそれでも構わない。 実行犯は初めから使い捨てなのだから、別に死刑になってもいいわけだ。――
闇バイトの不気味なところは、大元の指示役の正体を、誰も知らないことだ。
聞けば「テレグラム」や「シグナル」なる、秘匿性の高い通信アプリが使われているという。
そんなものがこの世に存在することも、もちろん驚きだ。だが顔の見えない闇の声が、殺人者たちを自在に操っていると想像すると、何だからオカルト映画のワンシーンを見ているような気にさえさせられる。
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闇バイトの奇異なところは、実行役たちがその闇の声に、いいように支配されていることだ。
なんでもバイト応募の条件は、身分証明書の提示だという。それでうっかり画像を送信してしまうと、相手に個人情報を握られてしまって、あとはその言いなりになるしかない。
もし命令にそむけば、お前の家まで訪ねて行って、家族もろとも皆殺しにすると脅される。
それが怖くて彼らは、ついには殺人にまで手を染めてしまう。――
だが思えば、それもずいぶん不思議なことだ。
一体「個人情報」なるものに、いかなる本当の力があるというのだろう? その幻影に、それほどまでに怯えなければならないのだろう。
電話番号と住所と名前――そんなものなら、かつてはNTTの電話帳に載せられて、普通に電話ボックスの中に置かれていた。卒業アルバムの写真だって、名簿屋で金を払えば簡単に入手できた。
だがそれでも、皆殺しにされると怯える者など、誰一人いなかったわけだ。
もちろん、インターネットの登場がすべてを変えた。
ネットに個人情報を晒されれば、リンチの餌食となる。デジタルタトゥーが末代まで残って、笑い物になる。そんな事例を、いやというほど見せつけられてきた。
個人情報保護法もできた。学校では今では、クラス名簿さえ作成しないという。
だとしたら確かに、それは何としても守られなければない、大切なものなのだ。――だがしかし、それと引き換えに殺人さえ犯すというのでは、どう見たって本末転倒の過大評価だろう。
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考えてもみたまえ。
命令に従わなければ、家族もろとも皆殺しにされる――あなたが恐れるそんな事態は、本当に起こるのだろうか。あなたを殺したところで、元締めたちのところには一銭の金も入ってこない。いちいちそんな暇なことを、彼らがするだろうか?
もちろん裏切者は、見せしめのために吊るし上げる。それは無法者たちの掟かもしれない。だが彼らが実際に報復に着手し、それが成功する確率はいかほどなのか?
それに比べて、あなたが逮捕され、刑務所送りになる確率は百パーセントだ。何しろ逮捕されて終わるまで、そして使い捨てにされるまで、永遠に仕事は続く。自己都合で途中で抜けることなど、けっして許されないわけだから。
両者の確率を秤にかけたら、どう振る舞うべきかは、本当は明らかなはずなのだ。
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それなのに冷静な判断力を失い、闇の声の奴隷となる。
それはけっして、闇バイトの彼らだけの愚ではない。
時代そのものが、どこか狂ってしまった。
「個人情報」なる言葉が、いつしか一人歩きする。誰もがそれに踊らされる。
私たちが育ててしまったこの魁偉な怪物は、こうして今日もまたたえず、新しい餌食を屠り続けるのだ。――
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(この問題についての文化史的な考察が、過去投稿<個人情報>「忌み名(実名)」を知られてはならぬ にあります。
ぜひ参考にしてください。)
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