「感動ポルノ」とはよく言ったものだ。
もちろんポルノとはエロ本や、わいせつ動画のたぐいだ。いたずらに劣情(=性欲)を刺激する目的で、安直に作成される頒布物だ。
しばしば巨大ビジネスの金儲けのために、大量生産されて流通する。
この「性欲」を「感動」に置き換えたものが、感動ポルノだ。
たとえば放送局 が、いたずらに劣情(=感動)を刺激する目的で、お涙ちょうだいの番組を垂れ流す。
涙腺のゆるい視聴者は、テレビにくぎ付けとなる。視聴率が上がるから、商売が繁盛する。これが感動ポルノである。
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そんなことを言うと 必ず誰かが噛みついてくる。人間の尊い心の作用である「感動」を、劣情呼ばわりするとは何事だ、と。
もちろん高級な、芸術的感興のようなものは、そうではない
ただボタンを押せばジュースが出てくるような――無批判的で自動的な反応なら、やはり低級な劣情と分類してもかまわないだろう。
お花を見れば、「きれい」と思う。被災者と聞けば、「カワイソ」とコメントする。
それと同じように、人間には誰にも感動のツボというものがあり、テレビ局はそんな生理的な構造につけ込んでくる。
「動物」「子供」「難病」「別離」――みたいなステレオタイプのキーワードを打ち込むだけで、感動のドラマが粗製乱造される。
それを見た視聴者の目からは、案の定ドピューっと、涙が飛び出してくる。
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オリンピックでは実況中継のアナウンサーが、キーワードを連呼する。
「ニッポン」「きずな」「努力」「苦難を乗り越え」……
どれもこれもIOCと放送局の、視聴率稼ぎの方便だ。懐の金をねらう詐欺師たちの、お定まりの口上だ。
それなのに疑うことを知らない愚直な小市民は、いいように踊らされて、感極まってオイオイと泣き崩れる。
泣くと言ったって、もちろん苦しいわけじゃない。カタルシスの原理により(注)、明日の朝には心身ともにすっきりとして、また一日元気に職場に向かうことができる。
するとそんな、爽快感が病みつきになる。脳内麻薬の中毒になって、また次の日も次の日も、夜な夜な感動ポルノにうつつを抜かす。
夜な夜な――確かに、それがミラノ五輪のいいところだ。時差の関係で、リアルタイムの中継は夕刻以降になる。
真昼間からポルノというのは、やはり少しこっぱずかしい。
その点、日の落ちた後の自宅の居間でなら。もはや心おきなく、安物の感動三昧にふけることも、できようというものなのだ。……
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そればかりではない。
下級国民の有象無象は、自分個人の人生の中に、意味を見出すことができない。だからその代わりに、その所属する集団に誇りを託そうとする。
なるほどオレはうだつの上がらない、無価値な虫けらにすぎない。だがオレたち大和民族は、かくまでもすばらしい。
だとしたら、その一員であるオレ自身の人生だって、まんざらではなかったはずだ、と。
つまりは「ニッポン・チャチャチャ」のナショナリズムは、もはや単なる感動ポルノではない。
自らの存在意義を確認しようとする、きわめて哲学的な作業であり。どこか宗教的ですらある、魂の救済の儀式なのだ(笑)――
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