最近とみに、比例代表制の評判が悪い。
あんなものいっそのこと、なくしてしまえという声もある。
だがしかし、――
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もっとも単純化したモデルで考えてみよう。
たとえば全国に10の選挙区があり、それぞれの有権者の数が100名だと仮定する。
すべての選挙区で同じように、A党の候補が60票、B党が30票、C党が10票獲得したとする。
当選者は1名の小選挙区なので、どの選挙区もA党の候補が選ばれる。その結果、A党が10名の国会議員を独占してしまうことになる。
B党の票(30×10)は死に票となり、完全に無視される。30%の支持率があるはずなのに、まるで支持者なんてどこにもいないかのように扱われる。
それじゃあ不条理以外の何物でもないだろう。
だがこれが全国区の比例代表制なら、それぞれA党は6名、B党は3名、C党も1名の代議士を送り込める。
支持率通り「比例配分」することが可能になる。
だからこそ、小選挙区の弊害を中和するためにこの制度が導入され(1991年)、並立制となったわけだ。
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もちろん細かいことを言えば、それぞれの制度にはいろいろと長短がある。
だが上記のような決定的な差異がある以上、どう見ても比例の方がすぐれていると言わざるをえない。
もしどちらか一つに絞るというのなら、廃止すべきなのはむしろ小選挙区の方なのだ。
比例が邪道で、選挙区が本筋と感じる理由は一つしかない。ただそれが、ずっと慣れ親しまれたやり方だからだ。
つまりはこういうことだ。――私たちの歴史は血縁から、やがて地縁へと進んだ。そこでは地域の共同体こそが、社会のすべてだった。村の寄合が政治だった。
国民国家の統合が進んだあとも、そのイメージがなかなか拭えなかった。
オラが町の代表を国政に送り込む、という発想を抜け出せなかったというわけだ。……
だが時代はさらに移っていく。地縁はいずれ、新しい絆に取って代わられるはずだ。
だとしたら選挙もまた、古い因習を打破して、新しい形態を模索するのは当然なのだ。
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地域にはそもそも、それぞれの自治体というものがある。その声を中央に反映させるのはいい。地方分権をもっと進めてもいい。
だが少なくとも、国政の代表を選挙区ごとに割り当てるようなやり方は、本当は理にかなわないはずだ。
国民全体を小集団に分割するときに、さまざまな基準を設定することができる。
年齢ごとに分けたり、所得の多寡で分けたり。人種で分類することもあるだろう。
たとえば職業ごとのグループに分けたとして、それぞれの業界がいわば選挙区となって、一人ずつ議員を選ぶだろうか? 建設業界は建設業界の代表を、国会に送るというように。
そんなことはありえない。
だとしたら、地域性に関するグループだけが、特別視される理由はない。
千葉四区は千葉四区の国会議員を選ぶ、というのも本当は同じような滑稽なのだ。
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全国区の選挙だけでは、人口の少ない地域の声はきっと埋没してしまう。――しばしばそんな懸念が表明される。
確かに少数派の存在は、けっして黙殺されてはならない。
民主主義はただの多数決の原理ではない。すべての構成員の利益を最大限に尊重するように、正義に基づいた議論がなされなければならない。
だがそれはまた、選挙区割りとは別の話だ。議場には少数派の代表が絶対に必要だ、ということにならない。
たとえば性別で分類した場合、LGBTは圧倒的なマイノリティとなる。
ひょっとしたら彼らは、こう主張するかもしれない。
「私たちは有権者の数が少ないので、国政に意見が反映されない。私たちには私たちの議員を送り込めるように、議席の割り当てが行われるべきだ」
そのときあなたは、その議論に素直にうなずくことができるだろうか?――
(話は次回「比例復活当選」は本当にズルいのかに続く)
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