民主主義はただ「殴り合い」を代行する

 殴り合いをすれば、だいたい多人数の方が勝つに決まっている。
 だったらわざわざ、暴力に訴えなくてもいい。実際に殴り合いなんか始めなくても、人数を数えるだけで足りるだろう――というのが多数決原理の本質である。

 もちろんただ数の力で押さえつけるだけだと、少数派の不満がたまる。
 少数派は正規戦では勝つことはできなくても、非正規戦に訴えることはできる。テロやゲリラのたぐいである。

 体制をひっくり返すことはできなくても、引っ掻き回すことはできる。それでは社会の安定が、たちまち損なわれてしまう。
 そんなことにならないように、相手方も多少とも納得させなくてはならない。そのためにもうけられたのが国会やら何やらの、論議と言論のプロセスだ。

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 つまりは民主主義なるものは、暴力による戦闘を、血を流さない平和的手段によって代行する。私たちが編み出した、きわめて文明的な装置である。

 だがそれは、必ずしも褒辞ではない。
 文明の洗練を装っても、その中身はただの殴り合いにすぎない。

 我欲と我欲が、牙を剥いてぶつかり合う。――そんな本質を忘れてしまうと、間違った過度な期待をしてしまう。まるで政治が、万事をたちどころに解決してくれる、魔法の仕掛けであるかのように錯覚してしまう。

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 だがしかし、それはそうではない。

 民主主義もその原理はただ、力と力の対決でしかない。

 それはちょうど、グローブをはめたラウンド制のボクシングも、それでもその本性は畢竟、野獣たちの殺し合いと少しの変わりもないように。――

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