「八百万(やおろず)の神」に見る日本人の民族的卓越性

 日本人は無神論者だという。
 尋ねられたらたいてい、「オレは神なんて信じていない。そんなものは存在しない」と答える。
 だがその先に、「で、神って何なの?」と突っ込んでみると、みんなたちまち口ごもってしまう。
「それはその……、もちろん世界を創造した……」

 そうなのだ。
「この世界をかつて創り、今でも動かしている根本原理」――
 純粋に理知的に考えた場合、それがもっとも当たり前な「神」の定義だろう。 
 だがだとしたら、それが「存在しない」と言うことは、かえって無理がありはしないか?

 この世界をかつて創り、今でも動かしている根本原理。確かにそれは、存在するのにちがいない。
 もちろんあなたが唯物論の科学者なら、きっとこう主張する。「この宇宙を動かすものは、あの物理学の法則の総体である」と。
 だがだとしたら、それが「神」なのだ。
 神が「ない」のではない。それがあなたの考える「神」なのだ。

 そしてもしそうだとしたら、それは一体どんな性質の、どのようなものなのか。わたしたちはいかに生きるべきなのか。――
 それを考える営みに、やはり意味がないとは言いきれないだろう。

     *

 明治の御代に、西洋人のキリスト教が紹介された。
 その God を「神」と訳してしまった。それがすべての間違いの、始まりだった。

 その日から「神」と聞くと彼らの・・・神を――少なくともそれと似たような何かを、思い浮かべてしまう。
 悪を罰したり。世界を6日で造ったり。我が子を人に遣わしたり。
 ときには白い衣をまとって、空の上からとどろく声で呼ばう。賽銭を収めて、祈りを聞き入れる。

 もしそれが神だというのなら、確かにそれは、ただのおとぎ話の人物だった。科学の時代の私たちが、迷妄と笑うのも当然だった。
 だがそれはあくまでも、彼らの・・・神にすぎない。それが眉唾だからと言って、すべての神が――神そのものが存在しないと言いなすのは。
 かえって大きな誤認に基づく、非科学的な態度なのにちがいない。

     *

「この世界をかつて創り、今でも動かしている根本原理」――神をそう定義するなら、それはもちろん存在しないわけはない。……

 古来日本には「八百万(やおろず)の神」と呼ばれるものがあった。
 山の神。川の神。田んぼの神。台所や、米粒に至るまで、数えきれない神がいる。言い換えればあらゆるものの中に、神が宿ると考えられた。
 西洋人は、そんな私たちの感性を笑った。それは万物に霊魂を認める、アニミズムだ。未開人たちの、蒙昧な宗教であると見下したのだ。

 だが何が蒙昧だろう。
 神が世界を動かす根本原理だとしたら。万物の中にそれを認めるのは、理の当然だった。
 あらゆるものに神の手が働く。言い換えればすべてに神が宿る。当たり前すぎるほど、当たり前の話じゃあないか。

 それはけっして未開などではない。
 むしろきわめて合理的で、ある意味では科学的な発想だった。
 少なくとも西洋人たちがでっち上げた、あのたわけた宗教物語よりは、はるかに理知的な哲学であるのにちがいないのだ。

     *

 だとしたら、私たちはけっして無神論者ではない。

 実は誰よりも正しく神を理解し、信じていた。

 宇宙と自然に満ち満ちた、この偉大な崇美をあがめる、敬虔なる信徒だったのだ。――

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