「接して漏らさず」――性の極意は真実か

<接して漏らさず>

 還暦を越えたって、余裕で女をかますことはできる。

 別にバイアグラなんかに頼らなくても、脳内麻薬の作用で(笑)十分に勃起を得ることができるのだ。

 だがそれでは、ちゃんと最後まで「イケる」かというと、かなり心もとない。
 勃起は血流の問題なのでなんとかなるが、射精となるとやはり、内側からこみ上げてくるものがないとダメらしい(泣)

     *

 遠い江戸の時代に、貝原益軒という儒学者がいて『養生訓』なる書物を残した。
 84歳まで生きた益軒が、長生きと健康の秘訣を記したものである。

 そのなかに「接して漏らさず」という、有名な教えがある。
 つまりは高齢になってからは挿入(=接する)はしても、射精(=漏らす)はすべきではない、と戒めているのである。

 色気は失わない方がいい。異性と交わりたいと願う欲念は、確かに心身の健康に資するにちがいない。
 かと言ってそのたびに射精していては、「精」を使い果たして、逆に早死にしてしまう。
 そこで「接して漏らさず」の極意が登場するわけだ。

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 だがおそらく、それは違うと思う。

 ちょっと論理を整理してみよう。
 仮に本人の主張通り、「貝原益軒が接して漏らさずを実践し、かつ長生きであった」としよう。
 あるいは百歩譲って、「すべての長生き老人は、接して漏らさずである」としてもよい。
 これらの前提から「接して漏らさずは健康によい」という結論は導けない。
 2つの命題は同値ではない。前者は後者の十分条件でもない(笑) 

 自分に言わせれば、きっと事態は逆である。
 老人たちは接して漏らさずだから、長生きをしたわけではない。
 逆に変に長生きなんかしたものだから、「漏らさず」どころか「漏らせず。。。」になった。挿入はできるけど、イケなくなってしまったのだ(笑)
 そう考える方が、はるかに常識にかなっている。

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 一つの事象が、いかようにも解釈できることがある。
 それぞれの人間はそれぞれの立場から、自分の都合のいいように理解しようとする。

 遅漏と長生きには、確かに相関関係がある。それをとらえて益軒は、前者が後者の原因である考えた。
 だが当然のことながら、これはいささか暴論である。どう見たって、因果の関係は逆だろう。

 まあ論理はさておき、80越えた老人の色ボケは考えものだ。
 ジイさんと呼ばれるような歳になったら、女に励むのはもうやめておいたほうがいい。  
 60代までにしたほうがいい(笑)

 干乾びた骸骨みたいな連中の相手をさせられては、女の子はたまったものではない。
 たとえ十分たっぷりと、お手当はもらっていたとしてもね(笑)――

(追補)
 若者たちの間には、逆に病的な早漏が見受けられる。
 まだ挿入をしないうちに――「入り口」あたりでまごまごしているうちに、何かの摩擦で射精してしまう。
 貝原益軒をもじれば「接さずして漏らす」というような、情けない有り様になってしまうわけだ(笑)

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<北里柴三郎の顔が千円札に見えない件>

 新紙幣にはいまだに違和感がある。

 北里柴三郎があまりに偉そうな顔なので、どうしても千円札の感じがしない。
 一瞬、五千円に見える。だが1と0の数字が目に入るので、一万円かなとも思ってしまう。

 実際北里柴三郎の伝記を見れば、相当傲慢で一徹な人間だったらしい。
 千円札に使うなら、もっと腰の低い、卑屈な感じの人物を選ぶべきだったろう。
 もっともそんな情けないヤツじゃあ偉人とは呼べないので、もとより肖像の候補には
なりえないのであるが(笑)

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<ヒエー山延暦寺>

 信長に焼き討ちされた延暦寺の坊主が、「ヒエー」と悲鳴を上げて逃げ惑った。

 それが「比叡山延暦寺」の、名前の由来だという(笑)

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