ポンテオ・ピラトという人物がいた。古代ローマ帝国の官吏で、ユダヤ属州の総督をつとめた。言うまでもなく、かのイエス・キリストの在りし地である。
そこでは多くのユダヤ人が、イエスの新しい教えを疎んでいた。イエスを何とか陥れようと、計略を巡らしていた。
彼らはついにイエスを捕らえて、総督ピラトに引き渡した。神の子を僭称した罪により、十字架の刑に処せと要求したのだ。
ピラト自身は、イエスの罪を認めなかった。猛り狂う群衆を、何とか諭そうとした。
そのときイエスを指さしながら、ピラトが発した「この人を見よ」のセリフは、後にニィーチェの著作の表題に引用されている。
だが人々は、ピラトの説得を聞き入れなかった。
「殺せ。殺せ。十字架につけよ」
と死罪を叫ぶ群衆の声に押し切られるように、ピラトはイエスを彼らに引き渡してしまった。
そして、――
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一体何が言いたいのかというと(笑)――要するに大衆は、バカだってことだ。救いがたい、ってことだ。
単細胞で、頭に血が上ると見境がない。盲目で、物の道理も見えていない。
多数派だって間違えることがある。というよりも、たいていいつも間違っている。彼らを諭そうとする、ピラトのような賢者も現れるが、けっして耳を貸さない。
神の子であるはずの――救世主であるはずのイエスさえ、吊るし上げて殺してしまうのだから始末に負えない。
人類はこんな馬鹿げた光景を、永遠に繰り返してきた。
みんなだって、覚えがあるだろう。たとえば最近の有名人叩き。ネットリンチ。不謹慎狩り。バッシング。
SNSで管を巻くウジ虫ども。やたらとイチャモンをつける石頭の二元論者。……
「殺せ。殺せ。十字架につけよ」と叫ぶあいつらは、きまって低能の有象無象ばかりだ。
直近で言うなら、和田アキ子や膳場貴子がイエス・キリストだ(笑)正論を吐いたはずの彼らは、あっさりと磔にされてしまった(笑)
衆愚を諫めた、慧眼のブロガーの言葉も届かない。
そもそもそのブログそのものが、誰も読んでいないのだから、話にも何もなりはしない(泣)
参照過去投稿:
和田アキ子<やり投げ 北口榛花>「トドみたい」で何が悪い
膳場貴子<トランプ銃撃> 膳場貴子の「舌禍事件」について
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