(話は前回「ゼロ歳児に投票権」に続く)
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しばしば耳にする理屈がこれである。
現在の日本は、高齢者の数ばかりが多い。
彼らの投票を期待して、政治家も年金世代の方ばかりを向いて、政策を決定してしまう。
もっと未来を担う若者の意向を、反映する仕組みに変えなくてはいけない。投票年齢を引き下げることで、若年の有権者の層を厚くすべきだ。
そんな主張を踏まえて近年、成人年齢が20歳から18歳に引き下げられた。
維新の会の「ゼロ歳児投票権」も、おおむねこの流れを汲んでのものであろう。
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だがしかし、日本の社会は本当に「高齢者ばかり」なのか?
年齢別の人口の推計値が、このサイトの表にある。

もちろん数値自体は、動かすことのできない事実である。だがその数値から、どのような結論を引き出すかは別問題だ。
テータなんて、いかようにも読める。論者によって、いくらでも我田引水の余地があるのだ。
それはそうだろう。
何歳からを高齢者と分類し、何歳までを若年層と呼ぶのか、明確な定義なんてないからである。
足し算が必要ないように、ひと目で明らかな極論を述べてみよう。
もし18歳から30歳までを「若年層」と呼び、それ以上をすべて「高齢者」としたならば、もちろん日本は高齢者ばかりだということになる。
だがその逆に、80歳以上を高齢者とし、それ以下はすべて若年層と呼んだとすれば、もちろん結論は逆になる。
ある老人が、
「日本の有権者は80未満の若者(笑)ばかりで、われわれ高齢者の声が政治に反映されていない。もっと投票年齢は引き上げるべきだ」
と主張することも十分可能なのである。
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もちろんこれは暴論である。
だがそれを言うなら、「日本は高齢者ばかりだから、投票年齢を引き下げろ」という主張もまた、同じくらい暴論なのだ。
確かに日本社会の高齢化は進んでいる。出生率が下がっているのだから、それは紛れもない事実であろう。
だが現状の数字で、すでに「日本は高齢者ばかり」と言い切るのは、あまりにも安直にすぎる。強引で危険な、イメージ操作の類いだ。
そのような前提に基づいた選挙制度論は、どれもいささかの考慮にも値しない。ただの駄論にすぎないのだ。――
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<追記>「ゼロ歳児投票権」について
等しく納税の義務を負った、一人前の社会の構成員が、互いの利害を調整しあう――おそらくはそれが政治なるものの本質である。
子供は税金も払わない。まだ親の庇護下にある、半人前の存在だ。それが直接政治の場にしゃしゃり出てきて、口をはさむというのはいかにも筋違いだ。
未来世代のためというのなら、親がちゃんと子供のことを考えて投票先を選べばいい。子供の数がそのまま票になる、というのとは話が違う。
だいたいそんなに政治がやりたいのなら、18歳になったとたんに、みんなでわっと投票所に駆けつければいい。それなのに新成人たちの、あの投票率は一体何なんだ(笑)
そもそも、ことさらに未来を語る政治家が、さも有能だという風潮が気に食わない。
代議員に負託されるのはあくまでも現在の――現世的利益の拡充である。未来なんてそのおまけに、申し訳程度にくっついていれば、それで十分なのである(笑)
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