ルイ14世がミニスカートを履いていた理由

 歴史的に言えば、服飾の様式に元来男女差は少なかった。
 17世紀の絶対王政の時代でも、男女はともにスカートを履いていた。


 女がロングスカートである一方、男はミニスカートとストッキングを履いたが、構造的にはもちろん大差はない。
 華美な装飾品で、全身を飾り立てたことも共通である。性的魅力をアピールすることが、ファッションの眼目だったのである。

 ご存じルイ14世も、マントの下はミニスカート、といういで立ちであつた。

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 服装を特徴づけたのは性差ではなく、むしろ社会階級の違いであった。
 上記のファッションは主に貴族階級のもので、労働者は地味なズボン姿であった。


 それはそうだろう。働くにはズボンの方が動きやすいし、足をケガから守ることもできる。もちろん派手に見た目を飾るだけの金もなければ、心の余裕もなかった。
 貴族たちはミニスカートの変形で半ズボン(キュロット)を履くことはあったが、長ズボンはもっぱら労働者階級のアイコンであった。

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 ところが18世紀の市民革命を境に、本来階級の差異であったものが、そのまま男女の差異に移殖された。
 男はズボンで女はスカート、という我々にもお馴染みのドレスコードに置き換わったのだ。
 この変化の原因は、一体何なのか?

 この間、教養系のユーチューブを見ていたら、山田五郎とかいう男が間違った指摘をしていたので訂正しておきたい。

<山田五郎の間違った解説>
→省略(笑) 

<正しい解説>

 話は簡単だ。
「男は仕事、女は家庭」という、役割分業が確立したからだ。

 男は外で働くから、労働者階級の服装を選ぶ。
 生産力が上がり、男の稼ぎだけで家族を養えたので、女は家事に専念できた。そしてより稼ぎのいい男を捕まえようと、露出の多い服装で着飾って、魅力をアピールしたわけだ。

 もちろん現実のすべての男女が、そうであったわけでなはい。
 大金持ちの男は、仕事に出ることもなかっただろう。その逆に困窮家庭の主婦は、汗水垂らして肉体労働にいそしんだかもしれない。
 だがいったんそれが、望ましい社会形態とされた以上。少なくともファッションの点では、規範に従って行動するしかなかったわけだ。

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 ドレスコードは、単に望ましいとされただけではない。ときに強制力を伴なった。
 たとえばパリ市では、女のズボン着用(男装)を禁じる条例が1800年に制定され、形式上は何と2013年まで存続していたのである。

 だがその逆の、男の女装を禁じる法律は存在しない。それは一体、なぜなのか?
 この点についても、山田五郎は何かトンチンカンな解説をしていた。

 <山田五郎の得体の知れない解説>
→省略(笑)

<正しい解説>

 これだって、ちょっと考えたらわかる。
 19世紀にはまだ、女性は選挙権すら持たない従属的地位に置かれていた。
 差別された集団が、そうでない・・・・・地位にのし上がりたいと考えるのは自然なことだ。女性のズボン姿には、無意識理にそんな政治的なメッセージも隠れていたにちがいない。

 だとしたら、差別する側はモグラを叩く。自分たちの特権を譲り渡すわけにはいかないと、女が男をまねることは、法律まで作って固く禁じたわけだ。

 一方男が女をまねるのは、何の問題ない。女装とは結局、自ら望んで下位の階級に堕ちることだ。
 特権を与えるには壁が必要だが、失うのは本人の自由だ。
 そんなことをするヤツらがたとえいたとしても、別に勝手に堕ちて行けばいいだけの話なのだ(笑)――

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 どうもこの山田五郎という男は、文化史(美術史)に造詣が深いらしく、どこかで仕入れてきたような知識をしきりにひけらかしている。

 だがどうやら、地頭は相当悪いらしい。物事の本質を見抜く洞察力には、致命的な不足があるようである(笑)――



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