昨今ではもうありえない。だが昔はちがった。
オレたちの若いころには、少女のヌードが載った雑誌や写真集が、そのへんの町の本屋で普通に売られていた。
ワレメもバッチリ見えていた。
今でも記念に(笑)、何冊か持っている。
どうだい? うらやましいだろう(笑)
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清岡純子(注)なる写真家がいて、その手のものを撮りまくっていた。
何でもレズビアンだったらしく、少女の裸体の美しさを自然に表現しようとしていた。
もちろん関西人ならではの、「もうかりまっか」の精神も働いていたにちがいない。
一体何冊写真集出したんだ、って感じだ。途中からはビデオも売りまくっていた。
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刑法第175条により、わいせつ物の頒布は犯罪である。
だが当然のことながら、「わいせつ」の定義はあいまいで、時代とともに変化していく。
その適用はおおむね、①「性器が露骨に描写されている」➁「いたずらに性欲を刺激する」ものが対象とされる。
だが一体、何がいたずらに性欲を刺激するのか?――それはただその時々の、社会通念に従って決めるしかない。
あのころは、きっとこう考えられていた。
第二次性徴の始まる前の少女は、まだ性に目覚めてはいない。「女」ではないわけだから、性の主体にも客体(対象)にもならない。
そもそも 、毛の生えていないワレメは「性器」ではない。おしっこをするためにワレているだけなのだ(笑)
たとえそんなものが見えたとしても、「いたずらに性欲を刺激」したりはしないはずだ。――
今思えばなんともオメデタイ考えだが、当時はそれが公式見解だった。
そしてそんな、硬直した「少女の定義」に基づいて、摘発が行われた。
つまりは毛の生えた、大人の性器は取り締まりの対象となり、少女のワレメはおとがめなしだった。
ちょうど今とは真逆の現象が、当たり前のこととされていたのである。
小中学生の股間はわいせつではない、芸術なのだ。性欲ではなく、美的感覚を刺激しているのだ――という理屈で、清岡純子はアーティスト気取りでいられたわけだ(笑)
もっとも当時も、許されたのは「ワレメ」までだった。「ビラビラ」が見えるものは自主規制された。
きっと「すでに開花している」と見なされたのであろう(笑)
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だがもちろん、今では時代は真逆になった。
大人の性器はまあ(ネットでは)目をつぶるとして、少女のワレメだけは絶対に許さん。そんな風潮に変ってきた。
かつてはこう考えた。「少女はまだ、性に目覚めていないのだから問題はない」
だが今は、その反対だ。
「性に目覚めていないものを、無理やりこじ開けるのはよくない」と、180度発想の転換が行われたのだ。
すっかり、さかさまじゃあないか。
いつからそんな、逆転が起きたのか。やっぱり、宮崎勤の事件(注)あたりからかねえ。
でもこうして世界的に、ロリコン狩りの嵐が吹き荒れたのを見ると、宮崎のせいとばかりは言い切れないのかもしれない。――
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オレだって基本的には、取り締まりに賛成だよ。
無理やりこじ開けるのなんて、ケシカランと思う。
だが問題はその基準だ。
どこからがロリコンなのか。その線引きをどうするか?
どうやら現状は、18才未満の裸は違法になるらしい(注)。
でも、それっておかしいだろう。中学生はおろか高校生まで、ダメダメというのはどうなのか。
第二次性徴が現れたら――生理が始まり、発毛が見られたら、女子はもう性の主体にも客体にもなりうる。
それが自然の理法だ。もう、やっちゃっていい。それどころか、さあどんどんおやんなさい、という推奨年齢に達しているのだ
それなのに、もうすっかり成熟しきった高校生までも、「児童」の枠に押し込めようとする。今の規制のありかたは、あきらかに行き過ぎだと思う。
そんなのは人間の本然にもとる。あってはいけない不条理だ。
大げさに言うなら、神の摂理に反している。――
それともひょっとして、みんなは神さまを信じていないのかね(笑)
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小学生までの無毛のワレメは、これまで以上に厳禁する。
その代わり中学生以上の、毛の生えそめた女陰はおとがめなしとする。
それが本来の、あるべき法の姿だ。
それならば、ちょうどオレの好みとも合致する。
万事めでたしめでたし、となるわけだ(笑)――
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