続・宮田笙子の飲酒喫煙問題を論破する

(話は前回から続く)

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宮田笙子の場合にかぎらない。

類似の事件が起こるたびに、「未成年の喫煙くらい大目に見て」「万引きくらいいいじゃないか」という論法が登場する。

だがそんな主張は、まったく理屈にかなわない。

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 もしも、同じ「犯罪」と呼ばれるものでも、悪質性に差があったとしよう。
 その度合いを1から100まで、数値化して並べたとしよう。
 そのときどこまでの非行は大目に見ることができて、どこからを必罰とするのか? 線引きはどこにするべきなのか。

 仮に20までを許容範囲とするなら、21の犯罪者は承服しない。
 たった1つの差なのに、何でオレだけ監獄行きなのか、と怒り出す。

 これを一般化してみよう。
 仮に数値nまでを許容範囲とするなら、n+1の犯罪者は承服しない。
 このことは任意の自然数nについて成り立つから(笑)、どこにも線を引くことはできないことになる。

 つまりは「万引きくらいいいじゃないか」という主張は、「強姦くらいいいじゃないか」「殺人くらいいいじゃないか」と言うのと同じぐらいに、実は見当はずれな暴論なのである。

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 英語には「比較級を持たない形容詞」というものがある。
 たとえば、perfect はmore perfect とはならない。
「完全だ」ということは百点満点ということだ。あちらより、こちらのほうがより百点満点だ、というのは理屈が通らないからだ。

 同様に illegal(違法な)にも比較級はない。法は犯しているか、犯していないか、二つに一つしかない。中間の状態はないから、程度を比べることはできないわけだ。
 刑法のどの条文であろうとも、違背したらすなわち罪であり、裁きを受けるべきなのだ。

 もちろん、課される刑罰の軽重については、議論がある(過去投稿参照)だろう。
 だがまったくの無罰、お咎めなしというわけにはいかない。
 低能の諸君も、そろそろそのことに気が付くべきなのである(笑)

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(注)

 今回の投稿はあくまでも、単に論理的統一性を問題にしただけである。

 ちなみに自分は、けっして薬物厳罰論者なわけではない。むしろまったくその逆である。

 飲酒喫煙自体を完全に合法化すべきだ、と考えている方は、ぜひ過去投稿「薬物やって何が悪い」を参考に、理論武装してみてください(笑)

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<追記>

 この件について「尾木ママ」とかいうオ〇マおやじが、教育評論家ヅラしてこう述べたらしい。  
「若者は、失敗から学び成長するものです」 「取り返しのつかないような重い処分は違うように思います」(注)

 まったく、笑わせるじゃあないか。
 どこが「取り返しがつかない」ものか。
 法を犯したのに、刑務所に行ったわけでも、前科がついたわけでもない。警察沙汰にすらなっていない。

 五輪出場辞退と言っても、体操界を永久追放になったわけでもない。いずれまた、戻って来られるわけだ。
 十二分に寛大な措置じゃあないか。高校を一週間停学処分になるのと、大して変わりはしない。

 もし五輪に出られないのが「取り返しがつかない」と言うのなら、代表に選ばれなかった選手たちはどうなるんだ?
 落胆する彼らに向かって、
――人生終わったなwww
と、声を掛けるとでも言うのだろうか?

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